日本のミステリー映画「祈りの幕が下りる時」、残酷な現実の中に見る人間の温かさ―中国メディア

人民網日本語版    2019年5月5日(日) 7時0分

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日本映画は、日常の小さなことに焦点を当て、悲しみや残酷な現実など暗い世界から温かい人間味や光を掘り起こすのがかねてから得意だ。写真は東野圭吾の中国語版小説。

日本映画は、日常の小さなことに焦点を当て、悲しみや残酷な現実など暗い世界から温かい人間味や光を掘り起こすのがかねてから得意で、昨年の是枝裕和監督の「万引き家族」や今年の東野圭吾の小説を原作とした「祈りの幕が下りる時」もその類だ。特に、ミステリー推理作品である「祈りの幕が下りる時」に登場する人物は、窮地に追い詰められたり、闇を抱えたりしていても、そこからなぜか温かさや光を感じることができる。(文:曾念群。北京日報に掲載)

近年、中国で最も人気の日本人作家と言えば 東野圭吾で、その作品は各書店で、村上春樹の作品を上回っているようにみられるほどの人気となっている。「白夜行」や「容疑者Xの献身」、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」などの作品は、多くの熱狂的なファンを抱え、ここ2年の間に、「容疑者Xの献身」と「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は中国人監督によって映画化された。「白夜行」のリメイク版製作権も、中国の製作会社が手に入れている。

東野圭吾は、1985年の作品「放課後」が評価され、第31回江戸川乱歩賞を受賞し、小説家としてのキャリアをスタートさせた。そして、1986年に退職し、専業作家としての道を歩み始めた。2013年の作品「祈りの幕が下りる時」に登場する主人公の加賀恭一郎は1986年のデビュー第2作「卒業」で初登場したため、東野圭吾の作家人生の9割以上の時間が加賀恭一郎シリーズに注がれていることになり、「祈りの幕が下りる時」は、同シリーズの第10作で、完結編となっている。

「祈りの幕が下りる時」は、表面的に見ると、殺人事件をめぐる推理、ミステリー作品であるものの、実際には、家族や子供に対する思いなどが本当の意味でのテーマで、そのストーリーの背景は、他の「加賀恭一郎シリーズ」の作品と同じく、1980年代まで遡ることができ、30年以上ずっと明らかになっていなかった加賀自身の父親と母親をめぐる真実も明らかになる。数十年の歳月が関係する他人との関係よりも結びつきが強い血のつながりのある家族への思いが込められたストーリーは、単なる無情な事件を数十年の時間をかけて解決するストーリーよりも、ずっと人の心をくすぐる。それをベースに、東野圭吾は、30年という月日の間を、読者が行ったり来たりするように、ストーリーを巧みに操っており、その複雑な語りに、読者は頭をフル回転させなければならなくなる。

このような語りは明らかに映画のモンタージュに適している。中国のコミュニティーサイト・豆瓣では、7万人以上が同映画を評価し、8.0ポイントと、原作小説を上回る高い評価を得ている。福沢克雄監督は、原作の複雑な人物設定や交錯する人間関係などをベースに、「山の形が分からないのは、自分が山の中にいるからだ」と困惑させる要素を盛り込んでいる。それでも、約2時間のこの作品を腰を据えてじっくりと鑑賞し、1998年、2010年、2012年、2017年というカギとなる年に起きたことをしっかりと頭で整理することができれば、その真相を浮かび上がらせることができるはずだ。

前半はやや淡々と進み、殺人事件を捜査する松宮と、その従兄で日本橋署の刑事である加賀恭一郎がタッグを組む姿も機械的にすら見える。しかし、捜査が行き詰った時に、あることをきっかけに、加賀は突然その事件と失踪した母に関する謎とを直結させることになる。そして、少しずつ真相が明らかになるにつれて、ストーリーは、事件の解決から家族愛へとその中心が移っていく。加賀恭一郎の運命と知り合いの浅居博美の運命が、一歩ずつ交錯し、その真相が少しずつ暴かれていく。世界は小さいもので、実際には運命で繋がっていた二人をめぐる、30年間暴かれることのなかった「謎」が解き明かされていく。

一見、浅居博美と加賀は親に愛されず孤独を抱えて育ったように見えるストーリーだ。浅居の母親は、父親の印鑑を使って巨額の借金をし、博美と父親はやくざから逃げる生活を強いられた。一方で、加賀の母親も彼が10歳の時に突然失踪し、遺影と遺灰との対面というかたちで再会を果たす。身勝手な二人の母親が、子供がさみしさを感じて生きる根本的な原因だ。二人の父親も子供との関係が複雑で、博美の父親は自殺し、加賀の父親は彼と険悪な関係のまま死んでしまった。

二人の家庭から、人間のずるさと温かさ両方を感じることができる。博美の母親は金品や忠雄名義の口座の金を持ち逃げし、浮気相手に金をつぎ込み、さらに、夫名義で巨額の借金をし、夫と子供を苦しい生活に追い込む。一方の加賀の父親は、仕事だけに没頭して家族を顧みず、親戚からいじめられている妻を守ることもしない。自己中心的な親が、その2つの家庭の「傷」の根本的な原因で、子供の人生に決して消えることのない後遺症を残してしまう。しかし一方で、子供を守るために、一人で家を出て、孤独でつらい生活を耐え忍んだ母親の姿や、子供のために罪を犯し、自殺しようとする父親の姿を見ることもできる。それぞれの親が、そのように子供のために「無私」の気持ちで犠牲を払い、傷つけた子供に少しでもできることをしようとする。

複数の殺人事件を調査し、関連のあるその真相に、主人公が推理しながら少しずつ近づくにつれて見えてくるものは、「殺人」という行為の冷淡さ、無情さではなく、親としての責任や犠牲で、法律上の殺人犯というのは、家族愛という倫理上の古い道徳を守る人なのかもしれないという点だ。2つの家庭、2世代の人をめぐる謎が解明されるにつれ、「自己中心的な精神は、家族の崩壊、殺人にさえつながり、幸福のためには無私の気持ちが必要である」というテーマ、さらに、愛を守るための犠牲、代価、そしてそれらの偉大さが浮かび上がってくる。

加賀恭一郎を演じている俳優の阿部寛は、2010年4月に連続ドラマとしてスタートした東野圭吾原作の「新参者」の時からその役を演じていることが興味深い。米国では、映画とドラマは全く別業界扱いで、中国でも、同じシリーズの映画版とドラマ版の両方に出演するというのは非常に珍しい。一方、日本では、ドラマ版と映画版の両方で、同じ役者が出演するというケースがよくある。メガホンを取った福沢克雄監督がもともとドラマをメインにしているためか、「祈りの幕が下りる時」の映像だけを見るとドラマのような映像で、特に高く評価できる部分はないものの、全体的にリズムが良く、よくコントロールされており、加えて各役者の演技もうまく、このミステリー作品が深みがあり、おもしろい作品に仕上がっている。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

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