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仏ノートルダム大聖堂で現地時間4月15日に火災が発生し、世界中は悲しみに包まれた。
仏ノートルダム大聖堂で現地時間4月15日に火災が発生し、世界中は悲しみに包まれた。ノートルダム大聖堂のシンボルである尖塔が焼け落ちたことについて、関係者は、「木造部分は全て焼け落ちてしまったが、建物の構造部分の倒壊を免れたことは、不幸中の幸いだった」としている。今のところ、現在、火災は完全に鎮火した。パリ検察庁は、その火災原因についてすでに調査を開始しているが、大聖堂で最近行われていた大規模な修復工事が原因か否かについては、現時点では不明としている。現在、大聖堂があるシテ島への交通はすでに全て一時的に封鎖されており、消防隊員400人が随時出動可能な状態で待機している。中国搜索が伝えた。
英国放送協会(BBC)の報道によると、パリ市民数百人がノートルダム橋の上やセーヌ川の川岸に集まり、この悲劇を間に当たりにして悲しみに暮れていた。誰もが言葉を発することも出来ず、涙を流す人も大勢いた。
大聖堂内部を撮影した写真が初公開
ノートルダム大聖堂から出火した火は1時間後にはたちまち猛烈な勢いで広がった。仏紙ル・モンドは火災発生後の建物内部の様子を撮影した写真を初めて公開した。
不測の事態による出火か 消防隊員1人が重傷
英紙ガーディアンの報道によると、4時間以上に及んだ消火活動の後、行われた初期調査において、検察庁担当者は、その出火原因は不測の事態が発生したことによるものとの認識を示している。また消防当局は、「2つの塔は幸いにも難を逃れたが、消防隊員1人が重傷を負った」としている。消火活動中、多くの市民が大聖堂のためにひざまずき、祈りを捧げていた。現在、大聖堂には今も多くの芸術品が残されており、人々からも心配する声があがっている。
仏大統領がノートルダム大聖堂再建に向けた国際的な募金活動立ち上げへ
マクロン大統領は、火災発生当日、反政府抗議デモ「黄色いベスト」運動に関する全国演説の予定を急きょキャンセルし、火災現場に駆け付けた。大統領は、「最悪の事態はかろうじて免れたが、闘いはまだ終わっていない。フランス国民は、一致団結してノートルダム大聖堂を再建する。また、国際的な募金活動も立ち上げていく」と述べた。
ノートルダム寺院はオールド・パリの象徴
セーヌ川に浮かぶシテ島にそびえたつノートルダム寺院は、850年の歴史を誇り、1163年に着工し、1345年に完成。ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文化遺産に登録されている。大聖堂の高さは130メートル以上で、ヨーロッパ史上初の完全なゴシック建築として画期的な意義があり、悠久の歴史を誇るパリを最も象徴する古代建築と言える。
フランスの大作家ヴィクトル・ユーゴーが著した「ノートルダム・ド・パリ」は、フランス文学史におけるロマン主義の傑作で、これまで何度も映画やミュージカルにリメイクされ、世界中に広く影響を与えている。
だが、その歴史ゆえ修復作業が急務となっており、フランス政府からの資金援助のほか、ノートルダム大聖堂は海外からの資金援助を求め、昨年、社会からの寄付募集をスタートしていた。
フランス近代史の生き証人
ノートルダム大聖堂は、まるで世の中の変遷を経験しつくした長老のように、フランス近代史で生じた重大事件のほぼ全ての生き証人であると言っても過言ではない。
1239年、聖王ルイ 9 世はキリストのいばらの冠をノートルダム大聖堂に収めた。
1302年、フランス国王フィリップ4世国王は、ローマ教皇に対抗するために全国民を動員し、ノートルダム大聖堂でパリ市民全員が参加した「三部会」を開いた。これが、フランス史上初めて、市民が参加した最初の三部会(議会)となった。
1455年、フランス民族の英雄女性ジャンヌ・ダルクの冤罪を晴らす儀式がノートルダム大聖堂で挙行された。英仏百年戦争(1337年―1453年)中、ジャンヌ・ダルクはフランス国軍を率いて英国軍の侵入に抵抗し、フランス全土に名が広まった国民的英雄となった。
1804年、ナポレオンはノートルダム大聖堂で戴冠式を行い、皇帝の座に就いた。ただやや気まずいことにナポレオンはローマ教皇から戴冠されることなく、自ら王冠をかぶった。フランスの著名画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの傑作「ナポレオンの戴冠式」では、この様子が精緻なタッチで詳しく描かれている。
1831年、当時29歳だったヴィクトル・ユーゴーは、「ノートルダム・ド・パリ」を発表、フランス文壇界を大いに沸き立たせた。
1944年8月26日、フランス国民は、ノートルダム大聖堂で、パリ解放を記念する式典を開いた。
1945年、フランス国民は、ノートルダム大聖堂で賛美歌を歌い、第二次世界大戦の勝利を祝った。
1970年11月12日、フランス国民は、ノートルダム大聖堂で、彼らが尊敬するシャルル・ド・ゴール大統領の告別式を厳かに開催した。(編集KM)