<日本人が見た中国>郷愁漂う城郭都市、繁栄の歴史とは無縁―平遥古城

Record China    2013年2月13日(水) 12時36分

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山西省平遥県にある平遥古城は、明代に建設され清代に修復された、中国で最も保存状態のよい城壁をもつ町。全長6kmの城壁内部にはれんが造りの立派な商家や民家が残され、そこに今でも人々が暮らす、生きた歴史博物館のような場所。

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2013年1月29日、平遥駅から乗った電動カートは、人々でにぎわう通りをすいすいと進んでいた。ふと気付くと、前方に壮大な灰色の城壁がそびえていた。城壁はもやに包まれ、どこまで続くのか分からないほど先まで延びている。その一角に開いた門に、電動カートは吸い込まれるように入っていった。

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アーチを抜けた瞬間、城壁に囲われた内側にはまったく別の世界が広がっていると感じた。れんがと瓦屋根の伝統家屋が建ち並び、その間を縫うように走る細い通りに車は少なく、自転車や徒歩の人々が行き交っている。未舗装の狭い路地では、地元の人々が自宅前に椅子を出して、午後のおしゃべりに花を咲かせている。

先ほどくぐったあの城壁は、きっと時を隔てる壁だったのだ。まるでこの城内だけが、時代に取り残されたまま現代まで忘れ去られてきたかのよう。古民家を改装した宿にたどり着いて荷を下ろし、のどかな空気の漂う町を歩く間にも、この印象はさらに強められていった。

平遥古城は、山西省の省都・太原から南西に90kmほどの平遥県にある。明代に造られ清代に補修された、全長6kmの城壁が周りをぐるりと囲む。明代の城壁がほぼ完全な形で残された中国唯一の町といわれ、世界遺産に登録されている。

平遥は明・清代に商業界を二分する存在だったとも言われる山西商人の拠点であり、かつて銀行の前身である「票号」という金融業によって繁栄した。しかし、清末からの動乱によってさびれ、現代に至っても資金不足のために再開発が行なわれなかった。皮肉なことにこのことが、現在も見られる素晴らしい町並みを残す結果となったのだ。

町の目抜き通り、明清街に建つ楼閣「市楼」に上って町を見下ろしてみた。瓦屋根が左右に迫り、その間の通りを観光客や地元の人々が行き来している。ずっと眺めていると、数百年前のこの場所の様子が、ありありと眼前に見えるようだ。当時はきっと、食品や日用雑貨を売る市が立ち、大勢の人々が行き交っていたことだろう。物売りの威勢のいい声や買い物客のざわめきで、辺りは今以上に活気に包まれていたかもしれない。

明清街を離れて歩き始めると、時折、誰もいない路地が遠く延びていた。路地に店は全くなく、れんがの家並みと土の地面には長年のほこりが積もり、沈み行く夕日の下で寂しげにその姿を浮かび上がらせていた。こういう光景を見るとなぜだか必ず、心をぎゅっとつかまれるような、せつなく悲しい気持ちになるのだった。どうしてこんな気分になるのだろうか。もしかするとそこには、人々の営みのうつろいとその失われやすさが投影され、長い歴史の中で変わることのない平遥の町並みとコントラスをなして、ひときわ強く感じられたのかもしれない。

■筆者プロフィール:菅沼佐和子

神奈川県生まれ。2002年より約3年半かけて、ユーラシアとアメリカ、アフリカ大陸の一部をバックパック旅行する。旅の経験を活かし、現在は東京を拠点にフリーランスの旅ライター兼編集者として活動中。最近よく訪れるのは中国とインド。

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