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新時代円明園発展思路専門家検討会が1月28日に行われ、円明園側は大宮門考古遺跡の発見に関わる成果を発表した。
新時代円明園発展思路専門家検討会が1月28日に行われ、円明園側は大宮門考古遺跡の発見に関わる成果を発表した。発表された成果には大宮門遺跡、東西門罩遺跡、金水橋遺跡、及び河道遺跡などが含まれる。先ごろ、円明園側は大宮門エリアの保護プロジェクトをスタートし、将来的に3つの展覧エリアに分けて一般公開する計画だという。
大宮門遺跡現場から発掘された河道遺跡(撮影・崔楠)。
大宮門は円明園三園の中で、正門としての機能がまだ回復していない唯一のエリア。大宮門は清時代雍正3年(1725年)に建てられ、円明園三園においての地位が最も重要で、その規模が最も大きい宮門で、円明園四十景のトップとなっている。1860年、英仏連合軍によって円明園が破壊され、大宮門も燃やされた。
大宮門遺跡現場から発掘された玉石路(撮影・崔楠)。
その後、同治皇帝が大宮門を重点的に修復することを命じたが、作業が完成しないまま、修復作業自体が停止されてしまい、大宮門はその後100年間にわたり次第に荒れ果てていった。2002年から現在まで、円明園管理処は大宮門遺跡に対し、4回の考古発掘作業を行っていた。今までにすでに6カ所の建築遺跡及び一部の河道、道路と広場が発掘された。
大宮門遺跡現場から発掘された河道遺跡の中のコノテガシワの杭(撮影・崔楠)。
1月28日に行われた新時代円明園発展思路専門家検討会で、円明園側は大宮門考古遺跡の発見成果を発表し、将来的に、大宮門エリアを3つの展覧エリアに分けて一般公開する計画だとした。
「円明園四十景図咏」に描かれた大宮門エリアの景観(写真提供・円明園管理処)。
「人民網日本語版」2019年1月29日