19年間1人で守り抜いた抗日戦争記念館、村で静かに歴史を伝える―遼寧省

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9日、遼寧省開原市下窩棚村に住む73歳の男性は、1991年から抗日戦争に関する資料を集め、1994年に自宅を抗日記念館として開いた。記念館は村の中にひっそりとたたずみ静かに歴史を伝えている。

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2013年1月9日、遼寧省開原市下窩棚村に住む73歳の男性、楊守義(ヤン・ショウイー)さんは、1991年から抗日戦争に関する資料を集め、1994年に自宅を抗日記念館として開いた。彼が資料を集めた時から22年ほどの月日がたった今でも、記念館は村の中にひっそりとたたずみ静かに歴史を伝えている。中国新聞社が伝えた。

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村民によると、楊さんは甘粛省玉門市の石油学院を卒業し、その後都会で就職したのだが、1962年に他界した父親の遺言により、抗日記念館の設立を決意した。彼の父親は1931年に抗日戦争に参加し、欒法章(ルワン・ファージャン)司令官の右腕として活躍していたという。

その後、彼は5人の子供が独立した1991年に、本格的に資料の収集を始め、自転車で開原市や隣の撫州市清原満族自治県にまで出かけた。時には吉林省梅河口市まで遠出することもあったという。彼は収集した資料をまとめ、絵を用いて戦争の歴史を紹介している。

記念館はレンガ造りの家で、かすれた文字で「開原市林豊区抗日英雄記念館」と書かれていた。館内は薄暗く、展示品は簡易な四角い額に収められている。中には破損がひどい額もあったが、中の資料は良好な保存状態を保っていた。

楊さんは記念館開設のために財産を手放し、血を売って資金を調達するほどだった。離婚の危機まであった妻は2010年に他界し、「苦労させて申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と楊さんは話している。

このほか、中国近現代史史料学学会の王建学(ワン・ジエンシュエ)副会長によると、楊さんが取集した資料の中に、欒法章司令官の参謀長が書いた回想録があり、これは非常に貴重な文献資料。彼が聞いて回った調査も資料として価値があり、抗日戦争の歴史を研究するうえで基礎的な材料になるという。

また、彼の行動に感銘を受けた若い学者は6000元(約8万3000円)相当の展示用の備品を送り、村役場の幹部は自身の130平米の家を展示場として提供した。(翻訳・編集/内山)



   

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