黄色信号を発明したのは中国人、エジソンに学ぶ―中国メディア

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7日、信号機の黄色信号は中国人が発明したものだということはあまり知られていない。

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2013年1月7日、中国ではこのほど、黄色信号で交差点に進入した場合に6点の違反点数と20元(約280円)以上200元(約2800円)以下の反則金が科されることが1日から施行された新交通法規で定められ、物議を醸している。しかしこの信号機の黄色信号は中国人が発明したものだということはあまり知られていない。斉魯晩報が伝えた。

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■信号機の緑と赤は英国の婦人服がヒントに

緑と赤の信号機(緑赤灯)の起源は、19世紀初頭の英国とする説がある。当時、交通量が多く、馬車による人身事故が多発していたロンドン国会議事堂近くの交差点の交通を整備するため、英国の機械工が1868年に緑と赤のガス灯火式信号機を発明した。英国中部の都市ヨークで当時、既婚女性は赤い服、未婚女性は緑の服を身に着けていたことをヒントに、識別率の高い緑と赤の2色が選ばれたという。

光源にガスを使い、警官が手動で緑と赤を切り替えるというものだったが、使用後まもなく爆発事故を起こし、操作していた警官が被害を受けたため、中止を余儀なくされた。

信号機が再び世界に登場したのは1914年の米クリーブランド市。もっともこの時はすでに電気灯火式の信号機だった。以降、ニューヨークやシカゴなどにも相次いで導入された。

■黄色信号の発明者は中国人

黄色信号の発明者は中国の胡汝鼎(1905−1985)。米コーネル大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学していた胡汝鼎は1925年、米国の発明王トーマス・エジソンが設立したゼネラル・エレクトリック(GE)とMITが共同で開講する講座に参加しており、エジソンの学生ともいえる。

胡汝鼎は米国の交差点で、信号が赤から緑に変わり道を渡ろうとした時、1台の車がすぐ傍をかすめ冷や汗をかいた。帰宅した胡汝鼎は思案の結果、赤と緑に黄色を加え、人々に注意を促すことを思いついた。

胡汝鼎のアイデアはすぐに採用され、緑、黄、赤の3色からなる信号機が世界に誕生した。

■国連、信号の意味を定義

信号の意味については、国連が「道路標識および信号に関する議定書」(1949年作成)で次のように定義している。(1)対面する信号機の緑は「進んでもよい」(通行許可)。ほかの標識で進行が禁止されている場合を除き、車両は直進・左折・右折することができる。右左折する車両は道路内を合法的に通行する車両、横断歩道を通行する歩行者の進行を妨げてはいけない(2)赤は「進んではいけない」(通行不可)。交差点の停止線の前に車を停止させなければならない(3)黄色は「警告」。停止線を越えてはならないが、車両が停止線に近づき安全に止まれない場合はそのまま進むことができる―。以降、この規定が国際的な取り決めとして世界に広まった。

中国で初めて信号機が登場したのは上海の英国租界。資料によると、1923年、上海の共同租界で、一部の交差点に機械装置で車両の停止・進行を指示する仕組みが導入され、同年4月13日、上海の南京路の重要な2交差点に、緑と赤の信号機が初めて設置された。(提供/人民網日本語版・翻訳/YT・編集/TF)



   

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