「香港の若者はテレビを見放した」、時代についていけなかった香港ドラマ―中国

Record China    2013年1月4日(金) 19時50分

拡大

27日、国際先駆導報の香港のテレビドラマについて書かれた記事によると、かつて香港人が熱心に見ていたTVBは、今日ではもう見る人も少なく、時代遅れであるという。

(1 / 3 枚)

2012年12月27日、国際先駆導報は香港のテレビドラマについての記事を掲載した。

その他の写真

香港のテレビドラマについて話していた時、「若者はみんな、とっくにYouTubeに『永久移住』したよ。もう誰もテレビには興味がないよ」とある若者は笑いながら言った。実際、彼の部屋にはテレビさえないという。確かに若者の多くがパソコンしか見ず、「テレビ」と言えば、映画でもドラマでも、パロディーでも何でもありな「YouTube」である。

私はかつて、香港のテレビドラマを専門に研究していた。今日の香港ドラマは、質も悪くなく、画像はハイビジョン、シーンも小道具も衣装も、長年経験を積んできただけあって、何もなかった昔よりは格段に良くなっている。制作は専門的だが、古いしきたりを踏襲するあまり、流行についていけず、文化的なイノベーションの力も感じられない。つまりは、技術面では合格だが、イノベーションでは落第点だ。世の中の流れを敏感に感じ取るセンスがなく、文化的にも魅了する力が足りない。

これまで、700万人の人口を抱える香港では、民間テレビ局であるTVBがドラマの制作を独占していた。もう1社の無料放送テレビ局は、とっくにコストが高いドラマからは手を引いており、TVBは香港人がドラマを見る唯一の選択肢だった。ドラマを制作するスタッフも、TVB以外には、内陸部に行かない限りは、他に自分の能力を発揮する場もなく、屈折した仕事環境に身を置いていた。

テレビドラマには独自の特殊な文化があり、単発的な映画とは違い、細く長く続いていく。ドラマは都市の生活を垣間見ることができる窓であり、時代を反映する鏡である。最も地元に密着した文化として、身近な生活の他愛のない出来事を語る場である。香港のテレビドラマはかつて、そうした文化の一端を担っていた。1970年代、香港が湧いていた時代、テレビの中の美しい服を着た人々を見て、労働階級の人々は幸せな夢を見ていただろう。70年代から80年代にかけて、香港ドラマは社会文化を多く取り込み、皆が共感できるドラマが誕生した。香港という大都会の魅力が詰まったドラマも多く、それこそ、私が言うドラマの文化的センスである。当時、テレビ業界で仕事をすることは、皆の憧れであり、シナリオライターと監督は時代の最前線に立つ仕事だった。しかし、残念なことに、今日のTVBは、時代の最も安全で保守的なところで縮こまっている。内陸部の視聴者でさえ、香港ドラマは新鮮味に欠けると感じるほどだ。

長年の発展の歴史を有する香港ドラマの大部分がTVBの独占市場だった。70年代には、ライバルテレビ局も現れたものの、つかの間の出来事で、TVBは早いうちから覇権を握っていた。そういった競争がない中で、TVBが香港人の心をつかむようなドラマを制作できたのは、広告業が盛り上がりを見せていたおかげでもあり、火の車だったテレビ局の重要な財源だった。加えて、テレビ局は運営や管理の面もまだ成熟しておらず、規制も少なく、制作過程にも決まった流れがなかったため、社会文化を反映し、生きた物語と香港人の心の声を取り込むチャンスがいくらもであった。今となっては、TVBは大企業へと成長し、すべての制作過程が機械化され、俳優、スタッフは全て規制された枠の中で動いている。テレビ業界が成熟し、TVBの独占市場となれば、自然と文化的なセンスではなく、利益が重視されるようになる。どんなに才能のある監督でも、どんなに素晴らしい俳優でも、TVBという巨大な覇権の下でしか自分の能力を発揮できないのだから、息が詰まるような閉鎖的な環境であることは容易に想像できる。

ここ数年、流行に敏感な若者は皆、TVBを見るのは時代遅れで「ダサい」と感じ、たとえ見たとしても、ネットでたたいて楽しんでいる。昔と今を比べると、かつての香港ドラマは「イケてる」だったが、今日では「イケてない」なのである。正に香港ドラマの栄枯盛衰の一端がうかがえる。(翻訳・編集/XC)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携