ソニー・IE上海の添田武人総裁「中国発のスーパーヒーローを世界へ」

人民網日本語版    2019年1月16日(水) 16時50分

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ソニー・IE上海の添田武人総裁が「中国発のスーパーヒーローを世界へ」と語っている。

北京なまりの普通話(標準中国語)を流ちょうに話し、湖南料理や四川料理を好み、とても親しみやすく、一見するととても「総裁」には見えないこの人物は、その名前と同じ発音で、5種類のナッツを意味する「五仁」にかけて、親しみを込めて「五仁叔」と中国のゲーマーたちから呼ばれている索尼互動娯楽有限公司(ソニー・インタラクティブエンタテインメント上海)の添田武人総裁。添田総裁は、1992年にソニー本社に入社。その後、2014年に再びソニーに復帰し、上海自由貿易試験区の政策を活用して、プレイステーション4(PS4)の中国における販売にこぎつけた。添田総裁の幼少時代と青年時代、そして中年時代はいずれも中国と深い縁で結ばれているという。そして、添田総裁は、中国が改革開放から40年間にわたり、経験してきた大きな変化と、同様に変化を遂げてきた中国人のライフスタイルを目の当たりにしてきた。

北京で生まれ改革開放を身をもって経験

「人生の半分、もしかしたら半分以上を中国で過ごしている」と語る添田総裁。

中国の作家・魯迅とその小説「故郷」を高く評価しているという添田総裁にとって、北京は間違いなくもう一つの故郷と言える。1967年、北京で生まれた添田総裁は、そこで幼少期、少年時代、大学時代までを過ごし、大学卒業後に初めて日本に戻って働くようになった。

中国語だけを聞いていると、彼のことを「北京出身の中国人」と勘違いしそうになる。中国が閉鎖された社会から、1978年に改革開放を実施するまでの過程を、実際に身をもって経験し、見てきた添田総裁は、「僕が北京の小学校に通っていた頃、中国はまだ閉ざされた状態だった。でも、僕が中学、高校、大学へ進んだ頃、つまり78年以降から、中国は国の扉を開き始めた」と振り返る。

改革開放当初、日本の家電製品は一般の人々が目にした最初の外国製品となった。当時、日立やパナソニック、ソニーなどが中国に進出した。それらメーカーのラジカセやポータブルオーディオプレイヤーなどが、物が少なかった当時、今のiPhoneのように流行し、改革開放後の80後(80年代生まれ)にとっては思い出の品となっている。

添田総裁は幼少期、両親と共に北京で暮らし、小学校、中学校、高校へと進み、北京大学文学院を卒業した。添田総裁は自分の成長について語りながら、「改革開放から40年の間に、中国は大きく変化した。その40年は、融合、開放、交流の過程で、その過程において、多くの外国人が中国について理解するようになった。また、多くの中国人が世界について理解するようにもなった」と語る。

92年に大学を卒業した添田総裁はソニーに入社し、市場リサーチやマーケティング、宣伝・PR、業務企画などを担当しただけでなく、中国でも約4年間勤務した。その当時、上海の浦東新区の開発が進み、中国の改革開放は新たな段階へと突入していた。その頃の添田総裁は、20年経ってまたソニーに戻り、中国で仕事をするようになり、浦東がその人生の新たなスタート地点になるとは、想像もしていなかったという。

ソニーインタラクティブエンタテインメントが自由貿易試験区で中国に進出

「当社も改革開放政策の春風に乗って、上海自由貿易試験区に進出した」と語る添田総裁。

13年9月29日午前10時、中国(上海)自由貿易試験区が正式に発足し、中国の改革開放の新たなテストケースとなった。政府の役割の転換から金融制度、貿易サービス、外商投資、税收政策などの改革などが実施された。

その当時、添田総裁は索尼電脳娯楽(ソニー・コンピューター・エンターテインメント)で当時アジア総裁だった織田博之氏の招きで上海に移り、ソニーの中国事業の開拓を引き受け、ソニーの代表的な製品・PS4の中国における販売を実現した。

14年まで、ソニーとマイクロソフトのゲーム機は正規ルートでは中国大陸部に輸入することはできなかった。当時、中国のゲーム産業では、騰訊(テンセント)や網易などが台頭していたものの、主にパソコンゲームやモバイルゲームに集中していた。世界で年間数百億ドル(1ドルは約108.6円)規模の市場を抱える家庭用ゲーム機という分野では、中国は完全に後れを取っていた。

添田総裁は、改革開放後、中国の経済は急速に発展し、ハイクオリティな文化・娯楽商品に対する需要をもたらし、中国の家庭用ゲーム機市場は間違いなく巨大なブルーオーシャンであると考えた。そして、上海自由貿易試験区の発足が、添田総裁の構想の追い風となった。

14年、上海は「中国(上海)自由貿易試験区における文化市場開放項目実施細則」を発表し、ゲーム機の製造・販売が正式に解禁となった。その後、索尼互動娯楽(上海)有限公司が上海自由貿易試験区に正式に進出し、総裁になったことをきっかけに、添田総裁の中国での新しい人生がスタートした。

添田総裁は、「改革開放が深化するにつれ、中国は世界最大のゲーム市場になり、ゲーマーがどんどん増えてきた。これが、当社が上海自由貿易試験区に進出し、中国でゲーム機事業を展開する一番重要な理由」とした。

ハイクオリティのゲームを作って中国発のコンテンツを海外にPR

「近い将来、世界中のゲーマーに愛される中国発のゲームが生まれることを切に望んでいる」と語る添田総裁。

14年に上海に進出した時からこれまでの約4年間において、添田総裁率いるチームが一番良く使っている言葉は、「ユーザーの習慣を形作る」、「ゲーム生態」、「中国発のIP」だ。

ソニーは、中国においても誰もが知っているブランドで、ソニー・インタラクティブエンタテインメントが発売元のゲーム機・プレイステーションは中国でも高い人気を誇っているが、中国のスマホやパソコンゲーム市場と比べると、家庭用ゲーム機の認知度はまだ低く、既に成熟している欧米や日本のゲーム機市場とも差がある。加えて、販売ルートの確立から知的財産権、ソフトウェア・ハードウェアのローカライズなどをめぐる問題も山積みで、プレイステーションの中国における発展の道は依然として険しい。

また、80年代に日本の家電メーカーが中国に進出した時とは異なり、家庭用ゲームが正式に中国に進出したのは、モバイルインターネット時代に突入してからのことで、若い世代の消費者は「目が肥えて」いる。そのため、添田総裁は、「市場は発展し、周辺の商業環境も一層改善されている。そして、ユーザーと私たちの産業がもっと融合しやすくなっている。そのため、ユーザーという側面、産業の発展という側面、市場の育成という側面から見て、ソニーのゲームは、中国国内市場に非常に良い積極的な効果をもたらすことができると思う」との見方を示す。

添田総裁は、技術が発展するにつれて、ハードウェア製品と娯楽コンテンツが常に産業を前進、発展させる主要な原動力になっていると考えている。ソニー・インタラクティブエンタテインメントはこの2つの分野で、チャレンジとイノベーションを続けており、これもソニーの商品が中国の若い消費者の心をつかんでいる原因だ。

改革開放から40年、不足の経済だった中国は高い品質の発展の道を歩むようになり、文化・娯楽の消費も同じ道をたどるようになっている。インタビューの中で、添田総裁は「品質」という言葉を何度も使い、「中国のゲーム産業は既に数の追求から、質の追求に、模倣・コピーから独自のイノベーションへと変化を遂げ、新しい発展の段階に入っている。中国には十分なアイデアがあるので、良い人材が蓄積されていると確信している」と語った。

そのため、添田総裁率いるチームは、時宜に応じた「中国之星」計画を打ち出し、この計画を通じて、中国国内のオリジナルゲーム作品やチームをサポートし、ソニー・インタラクティブエンタテインメントのプラットフォームを通じて、中国のオリジナルコンテンツをPRしている。なかでも大ヒットアニメ映画「西遊記ヒーロー・イズ・バック(原題:西游記之大聖帰来)」のゲーム版は、中国発のゲームで中国文化を熟知している添田総裁も期待を寄せている。

「このゲームの主なアイデアは映画『西遊記ヒーロー・イズ・バック』から来ている。このゲームを一緒に開発した目的は、中国発の題材を選んで、世界のプレイステーションユーザーに、ハイクオリティのゲームを提供することだ」と添田総裁。

このゲームの発売が発表されると、中国のゲーマーの間で大きな話題となっている。このゲームについて、添田総裁は、「中国発のスーパーヒーローが世界中のゲーマーの間でも人気を博すことになると信じている。『ヒーロー・イズ・バック』が中国国内でも、海外でも好評を博し、大ヒットすることを期待している」と述べた。(編集KN)

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