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<コラム>儒教に学ぶ人間関係を作る上での極意

配信日時:2019年1月8日(火) 21時0分
<コラム>儒教に学ぶ人間関係を作る上での極意
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「格物致知」とは昔の儒学者が物の本質を見極めようとしたことばです。その意図は人間関係を作る上での極意なのです。資料写真。
「格物致知」とは昔の儒学者が物の本質を見極めようとしたことばです。その意図は人間関係を作る上での極意なのです。

四書五経の一つの「大学」の中に「致知在格物、物格而知至」という言葉があります。「格物致知」はこの言葉に由来します。この言葉の解釈は2つあって、南宋の朱熹(1130~1200)が興した朱子学では、「物に格(いた)りてのちに、知に致る」と読みます。じっと物を見ていればそのものの本質が見えてくると解釈しました。

王陽明(1472~1528)の陽明学では「物を格(ただ)してのちに、知に致る」と読み、ものを格すという意味はこころを正しくするという意味です。この心を正しくするということは生まれたままの心にするということで、今まで育んできたさまざまな欲望をそぎ落として、すべてを無にするという意味です。そうすれば物事の本質が見えてくると言っています。

また、王陽明は「人が生まれながらにもっている、是非・善悪を誤らない正しい知恵」を「良知」と言って、「致知」とはその「良知」を得ることだと言いました。人には喜怒哀楽や食欲や性欲のような五感や欲望があり、そこには善悪があります。

この「良知」とは、正しいことをゆがみなく正しく写す人間の良心のことです。生まれてからその純な心が曇ってしまい、「良知」になっていないのです。何に曇るかというとそれは欲望であり、喜、怒、哀、懼(く)、愛、悪(お)、欲の七情のことです。この欲望が雲であるとすれば「良知」は太陽です。この曇った心を磨いて「良知」を取り出さないといけないと王陽明は言いました。

この「良知」はいわゆる「仁」であり、是非の心です。この是非の心とは良知が是と判断したことはそのとおりに行い、非としたことは行わないということです。「致知」は物事の本質を見極めるという意味になります。一般的には陽明学と朱子学におけるこの「格物」の解釈は全く違った考えだと言っていますが、私は物の本質を見極めるという意味ではその目指したところは同じだと思います。

すなわち、最も熱中して仕事をしている時は最高の熟練と効率が達成できます。「ゾーンに入る」という人もいます。深く集中した状態のことを言います。自己の意識を滅却して、自己と環境が一体化します。金田投手が全盛期の頃、投手の投げた球の縫い目が見えたと言いました。これがゾーンです。朱子学で言う「じっと物を見ていればそのものの本質が見えてくる」ということと同じことです。

また、西田哲学で言う「絶対無」の世界も一緒です。月がきれいだと見とれて、時を忘れてしまう。月と自分が一体になってしまう。自分自身が「無」になるということです。これがここで言う「格物」の意味と同じで、生まれたままの心にするということで、今まで育んできたさまざまな欲望をそぎ落として、すべてを無にするという意味です。

昔の儒学者は私欲をなくして、心を無にすれば、誰もが生まれつき持っている是非善悪を知ることのできる能力を発揮できると言ったのです。このことは生まれながらに持っていた心を取り戻すことなのです。誰でも大人になっていくとその心の回りには、名誉とか、財産、家庭、世間体が柵のようにまとっていて、外からの意見とか情報をブロックしてしまいます。

それでは生まれたままの心にはなれないのです。生まれたままの心を取り戻すことが出来て初めて、仁義礼智信を理解できる能力を発揮することができるようになると言っています。これがコミュニケーションの基本であり、人間関係を作る上での極意なのです。

■筆者プロフィール:海野恵一
1948年生まれ。東京大学経済学部卒業後、30年にわたり、ITシステム導入や海外展開による組織変革の手法について日本企業にコンサルティングを行う。現在はグローバルリーダー育成のために、海野塾を主宰し、英語で、世界の政治、経済、外交、軍事を教えている。
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