日本人はいつから「平和ボケ」に?―華字メディア

Record China    2018年10月25日(木) 14時50分

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19日、華字メディア・日本新華僑報網は、日本の現状を変えたいと願う勢力が平和ボケという言葉を新しく作ったと伝えている。

2018年10月19日、華字メディア・日本新華僑報網は、日本の現状を変えたいと願う勢力が、「平和ボケ」という言葉を新しく作ったと伝えている。

記事は、「日本が本当の意味で平和な生活を送り始めたのは最近のことで、2019年10月22日の、新天皇の即位を内外に宣言する『即位礼正殿の儀』に使用される玉座『高御座』が、トラック8台で京都から東京へ輸送されるニュースが、それを証明している」としている。

記事は、日本国憲法も含めたどの法律にも東京が首都であると定めた条文がないことを紹介。明治維新の後に天皇が行幸の名目で京都から東京へ移ってきたため、天皇の権威を示す多くの宝物は京都で保管しており、昭和天皇まで即位の礼は必ず京都で行ったと説明した。

そして、平成に入って即位の礼を東京で行うようになったため、京都から東京へ宝物が輸送されることを紹介。宝物の中で最も大きい高御座を、約1500個の部品に解体し、4トントラック8台に分けて輸送することについて、日本のメディアが陸路を使用することを強調した点に触れ、「前回即位の礼が行われた30年前の日本では、抗議の声やテロを避けて自衛隊の飛行機で空輸するほど、天皇の宝物を運ぶのは安全ではなかった」と伝えている。

続いて記事は、1980年代の日本の成田空港の様子を紹介。空港の周囲は鉄条網でぐるりと囲まれ、鉄道はまだ空港のターミナルへ直結しておらず、路線バスへの乗り換えが必要だった。当時は空港建設反対派の活動が激しく、警察の機動隊と頻繁に衝突していたためだという。「反対派の背後にいた日本の左翼が打ち出した、力による闘争方針が全国に影響している中で、天皇の宝物を自衛隊の飛行機で空輸する必要があるほど、油断ができなかった」と説明した。

記事は、「1990年代に入って、大規模な暴力抗争が鎮静化し、平和な生活を過ごし始めた日本が、湾岸戦争において米国に130億ドルの資金を提供してでも、戦地に立つことを避け、国民に平和な生活を継続させた」と紹介。日本政府が平和憲法の改正に着手したことを例に、「平和が長すぎて、平和な状態が普通になることを望まない者たちが、平和ボケという新しい言葉を作り出し、現状を変えようとしている」と分析している。

記事は最後に、「平和ボケを治療するのは何のため?」と疑問を投げ掛け、「次の天皇の宝物が平和な雰囲気の中で、大きなニュースになることなく輸送されることを望む」と伝えている。(翻訳・編集/原)

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