<コラム>今の日本人はアイデンティティを失くしてしまった

海野恵一    2018年10月10日(水) 20時50分

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儒学は5世紀に、仏教と同時に日本に渡来してきたのだが、仏教とは異なり、民衆に普及されることはなかった。写真は儒教の始祖である孔子の像。

儒学は5世紀に、仏教と同時に日本に渡来してきたのだが、仏教とは異なり、民衆に普及されることはなかった。ところが、江戸幕府になり、徳川家康はこの儒学を国家の体制を維持するために、組織の体制を確立する目的で、武士階級に強制的に教育浸透させた。そのため、250年間は日本の精神として定着することになった。林羅山、中江藤樹、広瀬淡窓のような著名な儒学者を排出した。そうした彼らの努力が武士道と相まって、日本の精神として定着した。

こうして、江戸時代までに培われてきた日本の精神は儒学を背景として醸成されてきたのだが、明治維新になって、儒学は衰退していった。産業振興が国家の最大の目標であったので、教育は技術という知識を習得することに傾注していった。さらに、大東亜戦争に負けて、教育勅語も廃止になってしまい、かつての威厳と矜持を持った日本の精神はなくなってしまった。この精神の背景にはこうした中国の儒学がある。教育勅語も孟子の言葉だ。この儒学は改めて日本の精神として再認識するべきであろう。この日本の精神の核心は修身斉家治国平天下であり、斉家、すなわち家族とその中心である妻を管理出来なければ国を治めることが出来ないということである。

残念ながら、この儒学は現在の教育カリキュラムにも入っていないので、日本人の精神、もしくはアイデンティティがなくなってしまったと言ってもいい。日本の精神の原点は儒教、仏教、神道だが、この儒学は江戸時代に培われた日本の精神の中核であり、教育勅語の原典でもあった。

日本的儒学と中国の儒学はどこが違うのか。中国人は絶えず、金銭を意識して行動するが、日本人は打算もなく、論語で言う「仁」(相手に対しての思いやり)をそのまま実行してきた民族だ。だから、中国人が儒学を習得する姿勢と日本人のそれとでは根幹的な精神の部分で異なると言える。かつての「大東亜共栄圏」の考えも打算がなかった。アメリカは昔からアメリカ・ファーストで、国益第一だ。ヨーロッパはいまだに植民地主義の残滓(ざんし)がある。欧米人に説明しても納得してもらえないが、日本人にはそうした考えは戦前からない。

また、日本人が中国人と違うところはこの儒学を個人という視点で見てきたのではなく、組織としてみてきている。自分だけが良ければ良いと言う文化は日本にはない。日本人は米中のように、国益だけに執着した国民ではない。アジアのためにどうしたら良いのかと言った文化を持っている。

かつてはこの儒学が教育勅語を中心に、日本人の修身の基本であった。今の日本人は戦争に負けたという意識からいまだ抜け出せないでいる。日本人が持っている伝統を新たに認識し、かつて持っていた遺産をもう一度、復活させることができれば、日本が世界の発展に大いに貢献できると考える。

■筆者プロフィール:海野恵一

1948年生まれ。東京大学経済学部卒業後、アーサー・アンダーセン(現・アクセンチュア)入社。以来30年にわたり、ITシステム導入や海外展開による組織変革の手法について日本企業にコンサルティングを行う。アクセンチュアの代表取締役を経て、2004年、スウィングバイ株式会社を設立し代表取締役に就任。2004年に森田明彦元毎日新聞論説委員長、佐藤元中国大使、宮崎勇元経済企画庁長官と一緒に「天津日中大学院」の理事に就任。この大学院は人材育成を通じて日中の相互理解を深めることを目的に、日中が初めて共同で設立した大学院である。2007年、大連市星海友誼賞受賞。現在はグローバルリーダー育成のために、海野塾を主宰し、英語で、世界の政治、経済、外交、軍事を教えている。海外事業展開支援も行っている。

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