自殺した台湾政府の駐大阪処長、2日前まで日本自治体幹部との会談や講演などで日台関係の推進に努力

配信日時:2018年9月15日(土) 10時50分
自殺した台湾政府の駐大阪処長、直前まで日台関係の推進に努力
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台北駐大阪経済文化弁事処の蘇啓誠処長が14日朝、自殺した。蘇処長は領事に相当する立場で、亡くなる直前日台関係の推進に努力していた。写真は蘇処長の日本側に対する最後の公的活動となった12日の、神戸日華実業協会における日台関係の説明の様子。
中華民国外交部(台湾外務省)の台北駐大阪経済文化弁事処の蘇啓誠処長が14日朝、自殺した。台北駐大阪経済文化弁事処は大阪領事館に相当する組織で、蘇処長は領事に相当する。蘇処長は亡くなる2日前まで日本自治体の幹部などとの会談や講演などで日台関係の推進に努力していた。

蘇処長の駐大阪経済文化弁事処処長就任は7月だった。同弁事処は、関西地区を襲った台風の影響で多くの台湾人旅行者が足止めされた問題で、批判を受けていた。

蘇処長と親交が厚かった台湾・花蓮市の魏木村前市長は、蘇処長が責任感の極めて強い人物だったと説明。花蓮市が2月に大地震に見舞われた際、姉妹都市である沖縄県与那国町の外間守吉(ほかま・しゅきち)町長が義援金として500万円と120万台湾ドル(約440万円)の義援金を持参して花蓮市を訪れた際にも、駐那覇弁事処処長だった蘇啓誠氏は、「町長は大金を持っている。通関に粗相があってはならない」と心配して花蓮市に連絡し、善意の寄付を持つ外間町長が滞りなく通関できるよう花蓮市が証明書を発行するよう求めるなど、細かい心配りを見せたという。

蘇啓誠処長の自殺の動機は明らかにされていないが、魏前市長は、台北駐大阪経済文化弁事処の部下の不手際を、自分自身の責任として強く感じすぎてしまったとの見方を示した。14日には午前中から蘇処長との共通の友達から電話が殺到し、自分を含めて皆が泣いたという。

蘇啓誠処長は1957年8月1日生まれで61歳。大阪大学に留学して日本語を学んだ経験もある。外交部に入ったのは1991年で、対日関係の部門を歩んだ。

台北駐大阪経済文化弁事処によると、8月後半からの活動だけでも、土佐清水市の泥谷光信(ひじや みつのぶ)市長、大阪日華親善協会の懇親会出席、富山県在住台湾人と富山県民有志の団体である富山県台湾総会幹部との会談、大阪市松原氏の沢井宏史文市長との会談、高知県四万十市の中平正宏市長との会談、広島県三原市の大西英之副市長との会談など、日台関係の推進に努力していた。

同弁事処が発表している蘇処長の最後の対日交流活動は9月12日で、神戸日華実業協会の例会で、日台関係について説明した。蘇処長は、貿易や投資、教育や旅行について日台関係が緊密さを維持しているだけでなく、相手側に大規模な自然災害が発生したときには日台ともに自主的に援助の手を差し伸べるなどで、「困難な時に真の気持ちが示される両国の硬い友情が実証されている」と述べた。(翻訳・編集/如月隼人
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