<コラム>地球文明の国になれるか日本 その8

石川希理    2020年4月22日(水) 23時0分

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我が母国は、人類史上、不思議な国である。それは地理的特性にある。写真は台風被害時の関西国際空港。

我が母国は、人類史上、不思議な国である。

それは地理的特性にある。温帯にあり、四季が明白で、雨量は全世界平均の倍ある。山国で極めて平地は少ない。国土面積は世界の0.25パーセント。M6以上の地震が全世界の2割発生し、火山は1割である。台風の襲来はますます増加し「Typhoon」「Tunami」は国際的言語だ。森林資源は豊富だが、鉱物資源はほとんどない。

この国に1億3千万人が住む。地球人口は2020年で67億程度だから、国土の15-25パーセントしかない平野部に人類の2パーセントが住む。そうでありつつ、世界第3位のGDPと、文化的発展をしている。

日本人は南方系と北方系、大陸系の混血民族というのが定説だ。文化の源流は精霊信仰や神道の基盤の上に、インド・中国からの仏教、儒教、道教などが入り込み、世界で最も哲学的でもあり、また奇妙な仏教を生み出したのは、前に本コラム「パパはお坊さん」で述べたところである。

そして中国の漢字・文化や政治体制などが形を変えて取り込まれる。かな・カナ文字や荘園体制を生む。ここから国風の文化が生まれてくるが、これもコラムで前述したように、国民一同「チョンマゲ」といった閉じられた島国ならではの風習も生まれる。

狭く災害が多いので、基本的にいがみあっては暮らせない。特に近・現代となると国家としての一体感が成立する。地域間の相互依存、農村と都市部の関係も密になる。独立した地方としての存在が不可能になる。

世界全体のグローバル化は、新型コロナウイルスでも明らかになったところだが、日本の国としての統一性も近・現代には完成している。

そしてこの「日本国」は、人も建物も、文化そのものが、地震や風水害、火山、などで永続しない。永続させるには、統一した価値観と人為的な協力・共同が必要である。それが、怨念を水に流して、ものの哀れを感じることである。「わび・さび」という言葉は微妙な日本人の意識(美意識)をあらわしている。質素で静かな陰性的なものを基調とする日本文化の中心思想である。人の世の儚なさ、無常であることを肯定する美意識であり、悟りの概念に近い。総ては変化するので、それをも首肯し、その中に内面的価値を見出す思想である。

例えば、東南アジアの仏像は「金ピカ」である。中国のものは巨大な磨崖仏、銅や金による仏像、木造と時代により多様だ。一方、日本のそれは木造である。森林の多い日本ならではとも言えるが、朽ち果てていく中に「無常」といった意識が含まれている。

別の面から見ると、仏教がいまなお生活の中に強く生きる東南アジアでは、仏像が汚損されているのは考えられない。しかし、仏教が生活の中から退場しているともいえる我が国では、信仰の対象でありつつ、「無常観」「もののあわれ」そして美術品的な思考があるからであろう。

さて、儚なさ、無常を肯定する意識は、動物的本能を「去勢」するはか思想である。脆くて、無常だから、虚無的だから、動物的本能に従って好きなことをするという考えには、日本の通常の人間には起こりえない。消極的な自死などの自己破壊に進むケースはあっても、人間性を失うような方向には進み得ない。

その方向に突き進むと、自己嫌悪に陥る。それは、人間の理性というものが、本能に支配されつつも、最終局面ではそれを忌避させるからである。暴発すると、まさに自己嫌悪・自己否定、そして積極的自己否定に陥る。

世界は、ホモ・サピエンスの、「英知」の発現は極めて不十分としても、 「英知」を総ての人が持ち得ている。人類はその段階にはある。故に「霊長類」であり「英知」ある「人類」なのだ。

元に戻って、儚なさ、無常を肯定する意識は、動物的本能を「去勢」はかする思想だとした。我が国の人々の根底にはその制限された虚無思想がある。地理的特色や、それに基づく長い歴史的時間の中で生み出された思想である。

「和」を貴び、謙譲し、恥辱に耐え忍ぶ。無論、それは、他にどう思われるか、よく思われたいといった意識が強すぎる面もある。だが、知識技術が進歩し、一つ誤れば、人類の存続そのものを脅かしかねない文明の発達段階に人類は直面している。

現在までは、動物の論理、弱肉強食が基本にあるとはいえ、理性がバランスを取る世界であった。例えば北朝鮮のような独裁国家、それに近い国々は発展途上国を中心に多々存在する。人権も法の支配も通用しない国が、幾多も見られることは事実である。そういった国々が、21世紀に入ると、核兵器を生産、ミサイル配備を、或いは生物化学兵器を実際に運用することが可能になりつつある。

地球温暖化阻止への動きはあったが、どうやら我々の予測を超えるスピードで、それが進みつつある。グローバルになった国際社会が、経済格差の拡大と、今回のような恐るべき疾病を拡大する。

どうやらコントロールが不可能になりつつある気がするのだ。

アメリカを超えつつある巨大な中国は、共産党一党独裁という形の民主主義国家である。とはいえ自由度が向上しないと経済的にも、政治的にも、人権的にも更なる発展は困難になるであろう。

つまり、人類は「種の存続」が可能かどうかのターニングポイントにさしかかりつつある。この転換点は、ほんの10年か20年で、たぶん2040年頃までに、人類に回答を求めている。

持続可能な成長には、人類が種としての精神的成長が求められる。それは、生存欲などの欲望をコントロールし、具体的に、自らの痛みを覚悟して、他のために慈しむ世界である。

我が国の「慈悲の精神性」「無常を肯定」し、「和」に進む心は、人類の規範として大いに役立つに違いない。

つづく

■筆者プロフィール:石川希理

1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小学校・飛松中学校・星陵高校・神戸学院大学・仏教大学卒です。同窓生いるかな?小説・童話の創作と、善く死ぬために仏教の勉強と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文芸祭りの選者(それぞれ随筆と児童文学)をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時折友人達などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時折禁酒(笑)。中学教員から県や市の教育行政職、大学の準教授・非常勤講師などをしてきました。児童文学のアンソロジー単行本数冊。小説の自家版文庫本など。「童話絵本の読み方とか、子どもへの与え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想・仏教」などの講演会をしてきました。

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