福島を愛してやまない中国人男性、きっかけは「自責の念」―中国メディア

配信日時:2018年8月8日(水) 15時20分
福島を愛してやまない中国人男性、きっかけは「自責の念」
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故郷に帰ろうとしない福島県出身の人々がいる中、「僕はずっとここで福島県民と一緒にいる」と話す中国人男性がいる。
2011年3月11日、東日本大震災が起き、その影響で巨大な津波が生じた。福島県庁提供の資料によると、2018年5月7日現在までに、地震と津波による福島県における死者は4056人に達し、うち2227人は「東日本大震災の長期的避難が原因となる健康の悪化」などが原因で死亡したと認定されている。福島県において避難が必要な区域は11年の1600平方キロから、現在は371平方キロ(県全体の2.7%)と、かなり縮小されてきているものの、現在もまだ4万6000人が各地で避難生活を送っている。故郷に帰ろうとしない福島県出身の人々がいる中、「僕はずっとここで福島県民と一緒にいる」と話す中国人男性がいる。

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■自責の念から福島に残る決意

11年3月10日、福島県上海事務所で働いていた徐銓軼さんは、親が上海で働いている日本人の子供数人を連れて福島に戻った。そして、その子供たちを引き渡した翌日には他の都市へ向かった。JRの電車で静岡県に着いた時、地震が発生した。徐さんは「なぜ自分だけ逃げることができたのか?なぜ子供たちと一緒じゃなかったのだろう?」と強い自責の念を感じているとし、「僕はまるで故意に福島を裏切ったような思いに駆られ、その償いのために、福島の復旧のためにできる限りのサポートをしている」と話した。

13年4月から5年間、徐さんは国際交流員として福島で働いたものの、「当時の給料は割とよくて約28万円ほど。でも、あの頃は日中関係が最も冷え込んでいた時で、福島で原発事故があったため、あの5年間で僕は1回も中国からの訪日団を出迎えることがなく、日中交流にも何の貢献もできなかった。日本の大卒生よりも高い給料をもらっておきながら、意義ある仕事ができなかったため、申し訳ない思いでいっぱいだった」と振り返る。そこで国際交流員の任期が満了した後も福島に残り、今年4月からは地域振興協力隊員として働くようになった。

■1度は「拒否」されたものの福島を愛し続ける徐さん

上海出身の徐さんは高校卒業後、京都に留学し、修士課程を修了した後、相応しい仕事が見つからなかったという。徐さんは、「専門は福祉で、当時は今ほどの需要がなかった。特に、外国人は就職が難しかった」と話す。がっかりした徐さんは上海に戻り、最初に就職した先が福島県上海事務所での仕事だった。その時から、福島が自分に幸運をもたらしてくれたとずっと心で感じていた。12年、浙江大学の学生を連れて福島の震災後の復興状況を視察した。「避難所の生活はとてもたいへんなのに、被災者は笑顔を絶やさず、僕に大きな力をくれた」と徐さん。

国際交流員に応募した際、希望の場所を3カ所書くことができるが、ずっと福島に行きたかった徐さんは、3カ所すべてに「福島」と書いた。しかし、運命のいたずらか、選考から漏れた。「後でよく考えたらしょうがない。もし自分が選考を担当していたら、甚大な被害を受けたばかりの福島は、地元の人でも自分の家に戻ろうとしないのに、希望の場所に全部福島と書いた中国人を選ぼうと思わないはずだ」。しかし、その後、福島に行くことになっていた人が取り止めたため、徐さんはその補充人員に選ばれ、国際交流員として福島に行くことになった。

鉄道ファンでもある徐さんは、留学生活もまもなく終えようとしていた時期、たまたまパンフレットで福島県会津若松市の会津若松駅から新潟県魚沼市の小出駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線「只見線」の写真を見て、「一目惚れ」をしたという。「11年に福島で原発事故が起きたのは誰でも知っている。でも、同年7月の新潟・福島豪雨の影響で只見線の一部が被害を受け、今も不通となっていることはほとんどの外国人が知らない。福島第一原発から約100キロの位置にある奥会津の市民にとっては、原発事故よりも、鉄道の不通の方が生活に関わる大問題」と、福島で5年以上生活している徐さんは、福島の人々に対する心配で頭がいっぱいだ。

15年、徐さんは福島県いわき市で妻となる女性に出会った。今年11月、二人の第二子が福島で生まれる。そんな徐さんは、「僕はとてもラッキーで、僕の家族はみんな僕が福島で働くことを応援してくれている。今また福島に残る理由が一つ増えた。上海のような大都市と違い、福島には美しい自然の風景がたくさんある。ここで、僕の理想の生活を送ることができる」と語る。

■世界に福島の魅力をPR

徐さんは現在、福島県三島町に住んでいる。人口約1600人の同町は、高齢化が極めて深刻で、家から一番近いスーパーでも12キロ離れているなど、生活も不便だ。しかし、アジアの歌姫テレサ・テンも1977年にこの街を訪れ、「特別町民」となっており、「ここは故郷みたい」と語ったという。

地域振興協力隊員の主な仕事は福島の魅力を記録し、PRして、一人でも多くの人に旅行に来てもらったり、定住してもらったりすることだ。長年日本で暮らしている徐さんは今でも外国人の観点から、現地の人には分からない魅力を見つけることができるという。

徐さんはよく山に登っては、美しい自然の景色をカメラに収めたり、まだ開発されていない観光資源を探し出したりして、動画を制作し、ネット上に投稿したり、オフラインのPR活動を行ったりしている。このように写真や行動を通して、福島の魅力を多くの人に伝えている。給料はわずか16万円と安く、ギリギリの生活であるものの、徐さんは、「こんなにたくさんのことが経験できている。福島にいることできるのは運命としか言いようがない。偉大なことは何もできないかもしれないが、これからも福島の人と一緒にいるという約束はできる。必ず福島にもまた幸運が舞い降りると信じている」と語る。

福島の観光業は現在、少しづつ回復している。日本の観光庁が今年3月に発表した17年の外国人観光客の宿泊統計によると、同年、福島県に宿泊した外国人観光客は9万4000人と、震災前を上回る数字となった。20年の東京五輪では、福島の球場で野球とソフトボールの試合が行われることになっている。また、聖火リレーのスタート地点も福島だ。その時になれば、もっと多くの人が福島の魅力に気づくことになるだろう。(提供/人民網日本語版・編集/KN)
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