<コラム>世界遺産の価値がある、旧満州に残る日本国総領事館を訪ねて

配信日時:2018年7月14日(土) 21時20分
世界遺産の価値も!旧満州に残る日本国総領事館
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満州事変前、日本国は旧満州地区に4カ所の総領事館と8カ所の領事館、そして12カ所の領事分館と全部で24カ所の領事館施設があった。写真は筆者提供。
満州事変前、日本国は旧満州地区に4カ所の総領事館と8カ所の領事館、そして12カ所の領事分館と、全部で24カ所の領事館施設を陰影していた。総領事館はハルビン・吉林・間島(延吉龍井)・奉天(瀋陽)、領事館はチチハル・長春・安東(丹東)・鉄嶺・鄭家屯(双遼)・遼陽・牛庄(営口)・赤峰(現内モンゴル自治区)、分館としては農安・通化・海龍・帽児山・掏鹿・淳化・牡丹江・佳木斯・綏芬河・黒河・白城子がある。

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戦前に中国大陸にあった日本国領事館は、旧満州の24カ所に加え、日本人租界地(上海・天津・漢口・蘇州・杭州・重慶・沙市・福州・アモイ)に9カ所と南京・鄭州・済南・青島・広州・徐州などに21カ所、唐山分館と大同・塘沽・坊子・張店・博山など5カ所の出張所、合計で60カ所が数えられる。

長春が脚光をあびるのは偽満州国成立時になる。1931年9月18日柳条湖事件に端を発して満州事変が勃発、関東軍により旧満州全土が占領される。その後、関東軍の主導の下に同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年3月9日偽満州国を建国。首都を新京(長春から改名)とし、元首(偽満州国執政、後に偽満州国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀がついた。また、長春領事館は「日本国駐新京総領事館」と昇格した。

満州は本来の表記では「満洲」である。当用漢字に「洲」がないため「州」となった。満洲は本来地域の名でなく民族名である。清朝では、五行説の「水」徳を意識して、民族名・王朝名に「さんずい」を入れて、「満」「洲」「清」を選んだといわれる。

この長春領事館は1912年9月17日に竣工、総工事費15万5千5百円、加藤洋行が施工した。加藤洋行は他に同時期に吉林・奉天・牛庄(営口)領事館をも施工している。また建設設計にあたっては、辰野金吾による建築設計であった。赤レンガの壁に白色の花崗岩を横に配列する自由古典式の様相建築であった。地上2階・地下1階半の地下室があり、建築面積は1800平米である。上海路にある総領事館跡地は現在、吉林省政協弁公大院となり、新大院建設にあたり撤去された(写真1)。ただ、上海路入口付近にある松林は当時のままである。

奉天総領事館跡は瀋陽市和平区三経街9号に現存する。1912年7月に竣工、3万4000平米の敷地を有する。三橋四郎設計による「辰野式」洋式である。1945年8月15日以降はソ連が領事館として使用、東北開放戦争の折には、宋美齢が居た。1985年以降、現在の瀋陽迎賓館北苑となってホテルとして利用されている(写真2)。西隣の八一公園内には、英国・仏国領事館があったが今は建屋跡も一切ない。日本領事館の東側にはロシア領事館跡が現存する。奉天公園(現瀋陽市政府)の北に米国領事館があったが、現在は人民代表大会常務委員会になっている。

ハルビン駅を降りると紅軍街が通っている。南東に200メートル歩くとハルビン鉄道局外経貿公司の建物が街路に沿って建っている(紅軍街108号)。ここが、ハルビン日本総領事館跡である。1924年創建後、南満州鉄道ハルビン事務所として使用されたが、1936年に総領事館として再使用された(写真3)。外装のデザインは、ジダーノフによるものだ。

最後の総領事であった宮川船夫(1890年~1950年)は終戦後、領事館外交官・通訳29名とともにウクライナに強制連行され、モスクワで獄中死、悲劇の外交官となった。ソ連の対日参戦を予測していたのは、当時の外交官の中では彼だけであった。初代総領事館は1907年3月4日に花園街に建設され、1909年伊藤博文をハルビン駅で暗殺した安重根が、しばらく軟禁された。現在は花園小学校として使用されている。

もう一つの現存している総領事館、間島日本総領事館の建屋写真を紹介したい。北朝鮮との国堺に近い延吉に近い龍井市六道河路869号にある総領事館跡である(写真4)。間島は北朝鮮北東部にあり、偽満州国・ソ連との境界に近いだけに軍事上非常に重要な拠点であった。

長春と瀋陽には偽満州国時代の多くの日本建築物が残され、そして今でも現役として使われている。政府関係建屋は市政府関係庁舎として、銀行は銀行、郵便局は郵便局、ホテルはホテル、学校は学校として、電信電話局はチャイナテレコムと言った具合だ。戦後、傀儡(かいらい)政権の建物であるが故に取り壊しも考えられた。文化革命時に破壊された建屋もあったが、多くは今でも使用されていることに驚きを感じる。この70年、民族傷痕として「撤去論」と文化財としての「保存論」が交錯し現在に至っているが、幸い使用価値としての有用性が優位であったが故に、現在まで残ったと思われる。旧満州に残る日本建築物は、西洋式と東洋式を融和した独特のもので、将来日中友好関係が進めば、世界文化遺産にしようと論議されることを信じる。

■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。
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