<中国人観光客が見た日本>中国人女性にとって「山口百恵に似てるね」は最高の褒め言葉だった

Record China    2018年6月16日(土) 12時50分

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10日、中国のネット上にこのほど、日本の「昭和」時代について紹介する文章が掲載された。

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2018年6月10日、中国のネット上にこのほど、日本の「昭和」時代について紹介する文章が掲載された。以下はその概要。

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「昭和」という元号は、日本の第124代、天皇裕仁が在位した1926年から89年までに使用された。昭和の前半、45年までは戦争の時代だ。後半は「修復」と「建設」が日本の基本テーマとなった。

岐阜県にある高山昭和館の入り口には、レトロな郵便ポストが設置されていた。館内の売店では、30年前に一世を風靡(ふうび)した駄菓子が販売されている。

館内は人がまばらだ。職員も、切符販売とレジを兼ねる女性が一人いるだけだった。1960~70年代の流行歌は、テンポの早い最近の音楽とは全くの別物だ。

日本の戦後の最初の転機は50年代。昭和25(1950)年に朝鮮戦争が勃発すると、戦争特需により日本経済は復興を始めた。日本では50年代にテレビ放送が始まり、「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が豊かな生活のシンボルとして「三種の神器」と呼ばれた。

60~70年代は日本の高度成長期だ。東海道新幹線の開通、東京五輪と大阪万博の開催。日本は世界第2の経済大国へと飛躍した。60年代半ばには、「カラーテレビ・クーラー・カー」が新たな三種の神器となった。

こう書いても当時の日本の状況を想像するのは難しいかもしれない。でも「となりのトトロ」や「コクリコ坂から」「ちびまる子ちゃん」などのアニメや、映画「男はつらいよ」シリーズを見れば、昭和後半の人々の生活が分かるはずだ。

館内には山口百恵の写真もあった。80年代の中国でも彼女の人気は相当高かった。女性に「山口百恵に似ているね」は最高の褒め言葉だった。中国の女優のコン・リーもデビュー当時は「山口百恵似」とメディアで取り上げられていた。山口百恵の21歳での結婚引退は神話となった。相手は何度も共演した三浦友和だ。山口百恵の「自然の美しさ」が懐かしく思い出される。

高山昭和館で最も印象深かったのは、館内2階の小学校の教室の再現だ。理由は他でもない。中国の70~80年代のそれに瓜二つだからだ。

当時、中国は改革開放直後で、海外から多くの情報が入ってきた。日本の流行や文化もその一つだ。その時代に生まれた私にとって、高山昭和館は、とてもなじみ深いものにあふれていた。80年代の中国の流行は、海外のものを土台に自分たち風にアレンジされたものだ。その中には日本由来のものも含まれている。当時の中国は、日本の昭和後期と同様に、すべてがオリジナルで、シンプルで、活発で、大胆で、強さと無限の可能性に満たされていた。それは急成長期特有の生命力と精神なのだ。(翻訳・編集/柳川)

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