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<在日中国人のブログ>「日本の防災はここまでなのか」と感心=四川大地震から10年、日中の違いを考える

配信日時:2018年5月14日(月) 18時20分
「日本の防災はここまで…」と感心=日中の災害対応の違いを考える
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10年前の四川大地震で、筆者の中国にある実家でも大きな揺れが感じられ、周りには「走れ」と叫ぶ声が聞こえた。写真は地震が起きたブン川県(ブンはさんずいに文)で5月11日に開かれたマラソン大会。
10年前の四川大地震で、筆者の中国にある実家でも大きな揺れが感じられ、周りには「走れ」と叫ぶ声が聞こえた。父と母は当時住んでいた5階から階段で下に降りていたが、あまりの緊張で足が震え、母は尻もちをついたほどだ。父の話によると、必死に母を引っ張ったが、母はしばらくの間起き上がることができず、父も母を置いて逃げることができなかったという。

その日の夜、70歳を過ぎた父と母は家の近くの広場で過ごすことになり、何とか手に入れた小さなテントに布団を敷いて夜を明かした。5月の気候は、夜はまだ気温が低く、外には雨も降っていたので、2人はテントに縮こまって寒さに耐えていたという。

父と母は若い頃に唐山大地震も経験した。強い揺れで住民たちは皆家から逃げ出した。その時は夏の夜で、街には下着姿の女性やパンツ一丁の男性が多く見られ、そのまま道端で夜を明かしたという。

余震が続くなか、父と母は私を含めた幼い子ども4人を連れて、道端にビニールを敷いて夜を過ごしたり、父の職場に張った大きなテントに泊まったりした。さらに、その後は小学校の外壁に自分たちで防震小屋を建てて、その小屋でその年の冬を越した。

母は当時、建築会社に勤めており、建物に詳しくアスベストなどの材料を手に入れることもできたため、父が建てた小屋は他の家の小屋よりも立派だったと記憶している。

筆者の両親のように、震災の中心地から遠く離れた人たちでもかなり辛い状況だったため、中心地の人々がどんな酷い状況に追い込まれていたかは想像に難くない。家屋が倒壊し、道路が寸断され、九死に一生で外へ脱出できた人は、厳しい環境の中で救援を待つしかなかった。そして救急隊員らは危険を顧みず、被災地に駆けつけた。

救急隊員が危険を冒して道を急ぎ、野宿する場面は中国の災害発生時によく見られる報道だ。唐山大地震や四川大地震のほか、洪水などの時も同様の報道は見られ、困難な救援活動を感動的に伝えるものが多い。四川大地震の際に、被災した赤ん坊に授乳する女性警官の映像は日本のテレビにも映ったことをよく覚えている。女性警官の献身的な行為に感動した視聴者が続出したが、日本の報道の方が事実を冷静に述べ、悲痛も感動も扇動していないように感じる。
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