AI時代の外国語教育とその課題〜卒業論文作成を中心として〜

人民網日本語版    2018年5月4日(金) 0時0分

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ここ数年ますます勢いを増す人工知能(AI)。AIは人々の暮らしを便利に豊かにしていくだけでなく、様々な面にも影響を与え始めている。そんなAI時代における外国語教育とその課題について、卒業論文の作成を中心に北京第二外国語大学の津田量氏が分析した。

ここ数年ますます勢いを増す人工知能(AI)。AIは人々の暮らしを便利に豊かにしていくだけでなく、様々な面にも影響を与え始めている。そんなAI時代における外国語教育とその課題について、卒業論文の作成を中心に北京第二外国語大学の津田量氏が分析した。

1.AI時代の外国語教育における卒業論文とは一体何なのか。

近年AIの急速な進展・発達に伴い世の中の様々な産業に大きな変化が生じ始めてきている。AIとはartificial intelligenceの略で、人工知能を指し、「計算機(コンピュータ)による知的な情報処理システムの設計や実現に関する研究分野」を指す。今までは、AIは便利な機械ということで、辞書や道具の延長線上、つまりある種の単純作業の代替をしてくれる存在であったが、今後は人間を人間たらしめていた頭脳作業の領域にまで代替作業が可能になってくる。更には、人間の頭脳を超えるのも時間の問題だと言われている。現在既にAI時代の幕が開けており、今後、好むと好まざるとに関わらず、一年一年状況が激変していく空前の時代に入っていく。そんな時代の卒業論文とはいかにあるべきか、明確な答えはまだないし、答えを出しても、直ぐに前提となる前提や条件が技術の進歩により変化してしまう。従って、その時代その時代に、常に変化に対応して卒業論文作成を外国語教育の中に如何に位置付けるかを問い直し続けていかなければならない。本文は2018年4月時点においての一考察である。

2.卒業論文とは何なのか。

卒業論文を論じる前に、大学教育、特に外国語教育における卒業論文とは何なのか、その意義と位置づけを明確にしておかねばならない。卒業論文は多くの大学の外国語学科で卒業のための必須要件となっている重要なものとして位置づけられているが、その意義については、小野寺(2004)が「卒業論文作成は卒業要件の一つであるが、その意義について言及されることは少ない。」と述べた通り、先行研究では殆ど述べられていない。そこで、卒業論文の意義についてまずは簡単にまとめてみたい。小野寺(2012)は、卒業論文の意義を「学業の集大成というべき課業であり、受動的になり勝ちな外国語教育においては、学生が能動的に、学問に取り組むことの出来る唯一の機会である。」としている。日本の大学や教員の考え方としては、児玉(2013)が「疑問や問題意識を,大学四年間で学んできた知識や経験を活用することにより明らかにしてゆく過程は,学生生活の集大成として大きな意義のある」としているように、「依然として日本の多くの大学では、大学教育の一環または大学生活の集大成として、4年次に卒論の執筆を導入している」のである。

中国の大学の日本語教学においても、「卒業論文は学生にとって大学で四年間勉強した学習成果の締めくくりであり、大学院生志望、研究者志望の学生にとっては特に重要なスタートである」(宿2004)とし、「卒業論文は、大学勉学の総決算であり、また新しい学問への再出発点、社会に出る第一歩あるいは踏み台でもある。」(高2004)としている。また、王健宜は「卒業論文は大学教育の有様を如実に反映するバロメータであり、学生にとっては大学生活の集大成的な創作とも言える。」(王2004)と述べ、譚晶華も「4年間培った最終段階の卒業論文の作成は、実のところ、各校の人材養成の結果に対する検査である」(譚2012)と述べている。以上から分かる通り、卒業論文は大学生活の総決算・まとめということで殆ど全ての識者の見解は一致している。

では、その具体的な内容はどのようなものであろうか。卒業論文とは何かについて、大島堅一(2015)は、卒業論文とは「?オリジナリティー(独創性)と?論理性、?論文としての形式」の3つの要素が満たされた論文であるとする。外国語専攻においても論文である以上これには変わりはないが、日本語専攻として、日本語力は目的に入っているのであろうか。小野寺(2004)は「日本語を読み話せることが究極の目的ではなく、?論理的思考回路の構築と、?豊かな感性を育むことが追求すべき課題」であるとし、では、何のために卒業論文を書くのかという問題に対して、王健宜(2007)は「日本語の能力を高めるためでもなければ、知識を系統化させるためでもない。日本語による思考の回路を独自に構築するため」としており、主眼は日本語能力の向上にはあらずとしている。

これらは、楊秀娥(2013)が「大学日本語専攻における卒業論文作成への指導教員の意味付け」で、中国の日本語学科教員へのインタビュー調査の結果、卒業論文の目的について、30代の経験の浅い教員たちは「日本語能力」「論文の書き方」「資料収集」などの表面的なものを目標としていたのに対し、経験豊富な40代以上の教員たちは「問題を分析・解決する能力」「研究は主な目的ではない」「学んだ知識を総合的に運用する能力」「総合的な能力(情報の収集・分析・整理・調査する研究能力や、一定の書式で、外国語で意図を伝えられる能力」であったとしている調査結果と一致している。

学生にとっての卒論の役割を、鈴木滋は「従来の受け身の教育から、自ら資料を探し、自ら考え、自ら文章を書くことによって、自主的に思考する経験が得られることである。(中略)自信にもつながる。」「ある特定のテーマに関する知識が得られること」「長い文章を書くことによって、日本語の文章能力が身につくこと」の三つであると言い、その結果として、児玉(2013)は「学生にとって卒業論文作成とは、それに直接関わる各々の作業を学ぶだけでなく、研究の実施が思うように進まない時にもゼミの仲間や指導教員とやり取りを行いながら学びを深め、達成感を得て自己成長を実感できるもの」としており、達成感や自己成長を実感できるという面を明らかにしている。

これらをまとめると、卒業論文の意義は、大学4年間で学んだことの総決算であり、学生が能動的に取り組むものであるといえ、学生の科学精神や、新しいものを創造する能力、特に問題を分析して解決する能力を育てることにあるとする。

3.技術革新と卒業論文

AI時代には、卒業論文の書き方が変わることは確かであるが、それがどのように変わるか考えるために、温故知新、IT時代になってどのように変化したかを振り返ってみる。1990年代前半までは、卒業論文は手書きで書いていたが、90年代半ばにはワープロが使用されるようになり、このワープロ使用機という移行期を経て90年代後半以降からはパソコンの急速な普及に伴い、インターネットを利用しつつ、パソコンで書く形式となり現在に至る。更に、2010年代以降は、スマートフォンやタブレットを使用して書く者も現れてきている。では、ITの普及前と、普及後での卒業論文の制作に生じた変化を見てみる。

3.1 IT(インターネット・パソコン)普及以前(1990年代前半以前)

短所

現在から見て、短所としては、手書きなので、修正や書き直しは、現在のようにこまめに行うことはできず、全て書き直さなければならないので、非常に大変であった。資料も、図書館に行き、検索コーナーで図書目録や図書カードを一枚ずつ探さなければならず、その本や論文を入手するのも膨大な時間と労力が大変かかり、苦労した。そして、タイトルで選び、入手した本や論文も自分の探していたものとは違う可能性が高く、徒労に終わる可能性が高かった。つまり、インターネットがある現在と比べれば、資料の充実度、網羅度などは、ずっと低かった。

長所

しかし、手書きは書き直しの時間と労力のコストが非常に高いので、論をよく組み立てからでないと書けない。熟考し、論を組み立ててから、傍証となる資料などを揃えた上で、書き始めて完成させるので、論文の構成の完成度は高く、構成力や集中力は鍛えられる。

また、構成を決めてから書き出し、また手で書くことも相俟って、引用はあれども、コピペを行うことはまずできなかった。総じて、卒業論文は大学生活の締めくくり、総決算として、今まで学んだ学問的なものに加えて日本語の文章能力、構想力などを最大限に発揮させる場として機能し、多くの大学において、広く必須のものとされてきた。

3.2 IT(インターネット・パソコン)普及以後(1990年代後半以降)

長所

パソコン入力なので、保存・編集がしやすい。コピーや、カット&ペーストなどが自由自在である。また、CNKI、CINII等資料の検索がデータベースに直接アクセス可能であり、求める資料が直ぐに大量に得られる。例えば、古典の名詞や語法の用例分析など、20年前までなら、その道の大家が10年掛けて調べるような資料が、あっという間により完全で漏れなく収集できてしまったり、図書館に行かずに自分のパソコンで論文や資料をダウンロードできたりするので、圧倒的に効率よく広く、深い資料までが収集できる。資料は電子データなので、引用が極めて容易である。

短所

しかし、コピー&ペーストが極めて容易なので、「コピペ問題」が深刻化している。また、パソコンを利用して手早く資料を集めて卒論を作成することが可能になった。また、インターネット上でのコミュニケーションが極めて容易かつ活発になったことにより、卒業論文を専門の業者に代行させることが容易になり、論文の代筆・代行を請け負う業者や人を探すことやマッチングも極めて容易になり、「卒業論文代行問題」が生まれ、教育現場の課題となっている。こうした卒業論文の代行を請け負う業者は以前から存在していたが、インターネットの普及により、卒論代行業者はネットにも広告を掲載するほどありふれた存在となった。代行業者が存在する背景として、学生の就職活動が長期化して卒論作成の時間を取り難くなったこと、大学側のチェック体制の不備、などが挙げられている。このような卒論代行業者は、日本のみならず海外でも多数存在する。

3.3 対策とIT化以降の卒論の位置付けの変化

対策として現在では、中国では、発覚したならば停学とするなど教育部で定め、学生の卒業論文の指導を毎週指導するようにし、指導冊子に指導内容を記録して、教員が見過ごすことのないようにしている。また、ソフトウェアにより、当該文章の中に、他者の論文やインターネット上からの「コピペ」がないか、チェックするように対応策がとられるようになってきている。2010年ごろから博士論文に対して、そのような検査が行われ、2015年前後より、修士論文でも行われるようになり、今年度2018年より学部の卒業論文でもそのようになってきた。

総じて卒業論文に取り組むことで、大学で学んだことを用いて自らの問題意識で物事を解明する力を身につけられ、また、卒業論文を書いたことがあれば、論理的に明解な長文を完成させることが今後も可能になる。説得力のある長文を書くことは、文章上のプレゼン能力を身につけることに等しい。インターネットが普及するにつれ、情報の入手が容易になり、たくさんの情報をどう整理して、まとめるか、むしろ文章を構成する知的能力がこれまで以上に求められるようになってきている。

4. AI(人工知能)の進展に伴う変化(2010年代後半以降)

人工知能(AI、artificial intelligence)とは、総合的な概念と技術であり、「人間の知的能力をコンピュータ上で実現する、様々な技術・ソフトウェア・コンピューターシステム」のことであるが、「知能とはそもそも何なのか」という問いが立てられている。これは、人間を基準として世の中を認識する、人間の可能性と限界を検証するという哲学的意味をも併せ持つ。2010年代後半より、リーズナブルなコストで大量の計算リソースが手に入るようになったことで、ビッグデータが出現し、企業が膨大なデータの活用に極めて強い関心を寄せて全世界的に民間企業主導で莫大な投資を行って人工知能に関する研究開発競争が展開されている。その結果、人工知能の第三次ブームが起きており、汎用人工知能(AGI)と技術的特異点の実現に関して企業間、更には2013年にアメリカで国家間でオバマ前大統領が脳研究プロジェクト「BRAIN Initiative」を発表し、中国でも2016年の第13次5カ年計画からAIを国家プロジェクトに位置づけたように、官民一体となった熾烈なAIの研究開発競争が推進されている。

AIには「機械学習」という手法を用い、フォーマリズムと統計分析を特徴とする記号的AI、論理的AI、正統派AI等と呼ばれる学派と「計算知能(CI、computational intelligence)」と呼ばれる数理論理学に基づく従来的な人工知能とは一線を画す学派がある。その中では多くの理論や方法論、技法やシステムがあり、これらを統合した知的システムを作る試みもなされている。

これらが卒論作成にどのような利便性を与え、影響を与えて卒業論文作成を変容させていくのか、筆者の知見の及ぶところではないが、いくつかの推察、想像を交えながら、次第にできていくという過程を予測して考えてみたい。

4.1 AIによって段階的によりできるようになると思われること。

AIが得意なことは、データを基にそれを分析したり、情報法を収集したりすることである。そこから、AIによる自動翻訳や、これまでの履修科目やその成績などのデータをもとに、論文の方向性やテーマやポイントをAIがアドバイスしたり、個々の学生の能力にあわせたフォローアップをしたりすることなどができるようになっていく。また、既にニュース記事などはAIが人に変わって書いていることからも分かるように、目的意識があれば、それに沿って自分の研究に必要な情報をデータベースから収集してくることや、論文などの型にはまった文章の作成はAIの得意分野であるので、卒論をAIに書かせることも可能になってくる。さらに、卒業論文の内容のチェックも、AIが過去の膨大な論文情報に基づいて適切なアドバイスをしてくれるようになっていくと予測される。

4.2 今後数年は人間にしかできないと思われるもの。

上記のような状況になっては、卒業論文の意義は、AIを使いこなすこととなってしまうが、そこに至るまでには恐らく10年程はかかり、少しずつ変化していくであろう。当面の間、その移行期においてAIが苦手なことを考えてみる。先ずは、目的意識を持ち、問題提起をすることである。現在のところ、AIは自ら目的意識を持って目標を設定して行動することはできない。何を求めるかという根幹は、人間が決めなければいけないのである。そして、得たデータを分析し、判断して、新たな論理で結論を導き出したり自分の論を作り展開したりすること。つまり、目的・目標・要件を定義し、卒論の枠組みを作ることである。

4.3 AIの進展に伴う外国語教育における卒業論文の在り方・意義の変容

AI時代と言ってもある年から急にAI化されるわけではなく、IT化が10年以上かけて進行し、検索エンジンや論文データベースなどのリソースの充実が図られ、現在も進化しているように、AI化もIT化の延長線上に次第に変化・進化・改良が加えられて漸進していく。AIと言っても、将来的には人間を越える知性・知能を身に着ける可能性もあるが、当面の間はAI化もIT化の時のように、AIを利用して人間自らの能力を拡張するものとして用いられることであろう。その内、論文という学術文章のフォーマットで書くことや、言語の文法や、文章の体裁などは、AI化によって補われ易いことは人間が行う重要度は下がっていく。言語それ自体も、AI翻訳のレベルの不断の向上によって重要度は今までと同じように高く置かれることは無くなっていくであろう。

そこで、AI化の進展が進む今後当面は、主体的に目的意識を持ってITやAIを利用してその答えを探し、得たデータや資料を用いて、筋道立てて自説やある物事を論じるという知的作業により焦点が加わって行くものと推察される。

5.大学の大衆化の影響、社会のニーズの変化、等から来る卒論の変化。

現在、IT化の進展と並行して、ここ十数年間、中国の大学における日本語教育では大きな変化が起きている。中国の大学における日本語専攻を有する大学の激増である。その結果、IT化を越える根本的な変化が生じてきている。中国の日本語教育の変化について、王健宜は2007年に「中国の大学の日本語専攻における問題」において、以下のように述べている。

「学習者数の規模が拡大したのに対し、「中身」つまり教育水準あるいは教育効果という「質」の部分では、様々な問題が出ている。例えば、大学での学習者数が十万人から二十万に倍増したのに対し、肝心な教える立場に立つ大学の日本語教員数は2500人から3400人へとわずか36%しか増加せず、決して倍増しているわけではない。また、学科設置の基本的条件の問題、人材育成のスタンダードの問題、教材の問題、教え方の問題、カリキュラムの問題、シラバスの問題、教案の問題、能力測定と教育効果の評価の問題等々が、日本語学習者の規模の拡大にともなう卒業生の大量放出によって浮き彫りされてきた。これらの諸問題を試行錯誤しながら徐々に解決していくのが、中国の大学における日本語教育の現状と課題ではないかと思われる。しかしながら、以上の問題は、相互に絡み合って、複雑な様相を呈しており、決して簡単に片付けられる問題ではない。」

日本語教育の現状と課題について、まとめると、先ず、小野寺健(2012)のいう「従来の日本語教育が、少数のエリートを、少数のエリートが教えると言うエリート教育の側面を有していたのに対し、現在は、大学教育が大衆化しており、これまでであれば、大学教育と無縁の者が入学し、教壇に立つ素養に欠ける者が、教鞭を取ると言った教育の希薄化が、著しく進んで」いるという状況がある。次に、日本語専攻を有する大学毎の目標の多様化があり、卒業論文だけが大学で学んだことの集大成となるわけではないという考え方も出てきている。そして、修剛・譚晶華・小野寺が共に触れている点であるが、学生のレベルはもとより、教員のレベルも含めた大学間のレベルの差が不断に拡大し、二本・三本と言われる低位の大学では、もはや学生と教員のレベルが低く日本語で論文を書くことも難であるという現実がある。

それと同時に、社会が大学卒業生に対して求めている能力も変容してきている。たった十数年以前までは外国語(日本語)さえできれば、引く手数多で、高給を得られる職につけたが、現在では既に、一つの外国語だけでは足りず、複合的な専門や能力を持つ人材や、即戦力として活躍できる人材が求められるようになってきている。そこで、ますます多くの大学も主専攻副専攻の制度やダブルディグリーの制度を設けたり、企業などでの実習を課したりするようになってきている。そのため、学術研究を第一義とする一流大学以外では、学術・学問を第一としないようになってきている。

6.今後の卒業論文

卒業論文とは、大学4年間で学んだことの集大成であり、医学部なら医師国家試験がそれにあたるように卒業論文は大学教育に必要不可欠なものではない。外国語教育ならば、4年間の外国語学習の成果を用いて、まとまった量の翻訳や通訳の実践、外国へ行って実際にその国の人と交流したり、知見を広げたりすることも、十分に学んだことの集大成である。

日本では、2020年から文部科学省が改定作業を進めている知識偏重から思考力や判断力を重視する新学習指導要領が全面実施される。次世代の教育では人工知能(AI)が学校教育にも取り入れられるようになり、知識を習得する学習形態から、AIに負けない、人間にしかできない感性や個性、思考力や判断力をこれまで以上に身につけていくことが大切になっていく。教師が一方的に教えることから、学生が主体的に学び、問題を解決することへ教育の重点がシフトし、AIに負けない思考力のある人間を育てていくことがこれまで以上に強く求められていくことになる。文部科学省は「教育課程編成・実施の方針について」にて、大学に期待される取組の具体的な改善方策として、「各大学の実情に応じ,在学中の学習成果を証明する機会を設け,その集大成を評価する取組を進める。 例えば,卒業論文やゼミ論文などの工夫改善や新規導入を実施したり,学部・学科別の,あるいは全学的な卒業認定試験を実施したりすることを検討,研究する。」としている。

実際、既に卒業論文・制作があるのは人文社会系の学部で73.1%、社会科学系の学部で32.7%に過ぎない。多様な特徴を持つカリキュラム編成を反映して特に文系では学際化が進み、卒業要件として卒業論文を課す大学は減少し、卒論が無くなったり、選択制で書かなくても卒業できるようになったりしてきている。中国の外国語教育、特に日本語教育においても、修剛(2018)が日語専業の国家標準作成し「作品を翻訳したり、実践したことの報告書であったり、多様な形式であっていい」と述べている。

集大成であるから、なにも卒業論文という形式に拘る必然性はない。また、卒業論文の目的は日本語の能力を高めるためではないので、論理的に「中国語または日本語による執筆」となるのであるが、これは同時に、レベルの乖離により、日本語で論文を書けない学生、日本語での論文を指導できない教員等レベルの大学が少なからず存在することへの現実的対応策ともなっている。

このように、多様な人材・複合的な人材を求める社会の要求は、大学の大衆化も相俟って学生のレベルやカリキュラムに応じてそれぞれの大学がそれぞれの形での大学4年間の集大成の形を模索していく方向にある。そこで、?卒業論文を卒業要件とする大学の割合は減少していくと思われる。また、AIの技術的な進展は、今まで論文を作成する際に多大な労力を払ってきた、資料の収集やその資料が外国語である時はその翻訳、外国語で書く場合は高い語学力といった方面への労力の逓減をもたらしてきている。ここから、初心に帰ってもう一度卒業論文の意義を問い直すことが必要になってくる。その帰結として、卒業論文は、?外国語専攻と雖も、AIの進化に伴って卒業論文は知識や語学力を示すものではなくなっていき、語学としての比重は下がっていく。そして、AIの進化に伴って今まで多大な力を割かねばならなかった作業に対する負担が下がることによって、?どんな目的・問題意識を持っての主体的な知的作業であるかが重視されるようになっていく。つまり、何をどう論じ、どのような結論を得たかというより本来的な論文としての比重が上がっていく。AI、卒業論文はITやAIを利用してその答えを探し、得たデータや資料を用いて、筋道立てて自説やある物事を論じるという知的作業により焦点が加わって行くものと思われる。

ここから、AI時代の大学での外国語教育における卒業論文は、学術論文以外に、翻訳・通訳や交流活動などの実践報告、文学作品の翻訳や、言語以外の他分野にまたがる学際的学びが増えていくことから、起業案作成など、多元化して行くと考えられる。

現在行われている、卒業論文コンクールは、日本語で書かれた学術論文に限定しているが、学術論文以外の形式の部門にも対象を広げることも一つの方向性になるかもしれない。また、学術論文としての卒業論文は、語学の評価比率は下がり、新しく何を言ったかという創造に対する比重が上がっていくものと考えられる。

参考文献

小野寺健・王健宜・邱鳴等(2012)『日語専業卒業論文写作指導』、外語教学与研究出版社。

王健宜(2007)「中国の大学の日本語専攻における問題――卒業論文の指導――」『中国21』、56、58ページ。

宿久高(2004)『第四回日中友好中国大学生日本語科卒業論文コンクール記念文集』南開大学日本語学部、95ページ。

高文漢(2004)『第四回日中友好中国大学生日本語科卒業論文コンクール記念文集』南開大学日本語学部、94ページ。

王健宜(2004)『第四回日中友好中国大学生日本語科卒業論文コンクール記念文集』南開大学日本語学部、92ページ。

小野寺健(2004)『第四回日中友好中国大学生日本語科卒業論文コンクール記念文集』南開大学日本語学部、1ページ。

大島堅一(2015)「卒業論文の書き方International Relations Self-Study Navigator」執筆日(更新日:2015 年11 月19 日)

楊秀娥(2013).大学日本語専攻における卒業論文作成への指導教員の意味付け――中国のある大学の日本語教師へのインタビュー調査から『日本学刊(香港日本語教育研究会)』16,262-274.

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