<コラム>杭州市「西湖」近くにひっそりと残る、日本国領事館跡を訪ねて

配信日時:2018年5月7日(月) 6時0分
杭州市「西湖」近くにひっそりと残る、日本国領事館跡を訪ねて
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浙江省の省都、杭州市の西に広がるユネスコ世界文化遺産「西湖」は、そもそも海であった。写真は筆者提供。
浙江省の省都、杭州市の西に広がるユネスコ世界文化遺産「西湖」は、そもそも海であった。2200年前、秦の始皇帝が「銭唐に至り浙江を臨む」との記述が史記にある。これが文献上初めて出た西湖の記載である。当時はまだ淡水化していない干潟であった。その後、漢時代になると銭唐河が運ぶ土砂によって堰き止められ淡水化し、唐時代には「西湖」と言われるようになった。西湖の名称が固定化されたのは宋時代になってからである。歴史的にはまだ極めて新しい湖である。2011年6月に世界文化遺産に登録となった事を契機に、多くの観光客が訪れる名所旧跡になった。

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西湖の北に突き出すように白堤がある。その入口「断橋」の端、北山路と保俶路が交差する小高い丘の上に古めかしい2階建ての洋館がある。ここが明治末に建てられた旧杭州日本国領事館である(写真1)。

西湖の周囲に繋がる北山路には観光客があふれているが、一つ北になる街路には人影もまばらである。入口門壁に旧日本領事館跡の表示が小さくあるが、一般の民家でもありなかなか入り難いが、思い切って入ることにした。建物の正面が玄関になっており、左の壁に領事館跡の名盤が掛けられていた。蘇州にある日本領事館跡に比べればひと回り小さいが、外観が古い西洋建築であることから領事館建築物であると分かる。現在は、残念ながら一般人が内に住み、前面は洗濯物が干され、生活色豊かな住居となっている。(写真2)は当時の日本領事館である。

この領事館跡から北へ5キロメートルほど行くと、京杭大運河に跨る「拱宸橋」がある(写真3)。この周囲に日本人租界地があった(写真4)。当時の様子を垣間見る事が出来るのは「杭州市第二人民病院内」にある「公共通商場:海関」跡の洋館程度である。「拱宸橋」は高さ16メートル、長さ92メートルの杭州で一番高く・長いアーチ式石橋である。創建は明代末1631年、その後清代1721年に重建され、京杭大運河終点のシンボルとなっている。「拱」は歓迎の意味であり、「宸」は帝王が住む宮殿という意味がある。昔から皇帝を迎える場所であり、杭州の北玄関であったことが推察される。清朝時代、康煕帝が5回、その孫の乾隆帝は6回、江蘇・浙江を南巡している。

■筆者プロフィール:工藤和直
1953年、宮崎市生まれ。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。
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