「やっぱり色が違った!」韓国が観光名所・光化門の文字をまた変更=韓国ネット「1つずつ元通りに」「ハングルにすべき」

配信日時:2018年2月3日(土) 7時0分
「やっぱり色が違った!」韓国が観光名所・光化門の文字をまた変更
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2日、韓国・ソウルの観光名所である景福宮の正門・光化門上部に掲げられた扁額がまた変更される。日本統治からの独立以降4度目のことで、韓国メディアは「波乱万丈の歴史」と伝えている。写真は光化門。
2018年2月2日、韓国・ソウルの観光名所である景福宮(キョンボックン)の正門・光化門(クァンファムン)上部に掲げられた扁額(へんがく)がまた変更される。日本統治からの独立以降4度目のことで、韓国・朝鮮日報は「波乱万丈の歴史」と伝えている。

報道によると、韓国文化財庁は先月30日、同扁額の本来の色が「黒地に金字」という事実を突き止めたと発表、「来年上半期までに現在の白地に黒文字の扁額を外し、新しい扁額をつける」と明らかにした。同扁額は2010年に復元した際に亀裂が発生しており、さらに今回考証ミスの事実が分かったとなれば「手抜き復元物議」は避けがたいとみられている。

光化門は1395年に創建されるも、文禄・慶長の役により燃えてしまったとされる。現存する白黒写真の同扁額が初めて製作されたのは朝鮮王朝時代の景福宮再建の時(1865〜1868)のこと。訓練大将であり再建責任者だった任泰瑛(イム・テヨン)が、右から左方向に漢字で「光化門」と書いたという。しかし正門として機能したのは60年ほどで、1927年に日本が総督府庁舎建設のため光化門を景福宮の建春門北に移動。その後、朝鮮戦争で爆撃を受けて焼失した。

光化門がその姿を再び現したのは1968年。当時の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の指示により、経済成長期を象徴するかのごとく鉄筋コンクリートで再建、上部には朴元大統領が書いたハングルの「光化門」の扁額が掲げられることに。しかし、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府時代に「朴正熙の字を外そう」という主張が提起され、2006年に始まった光化門復元工事によりコンクリートの建物ごと取り壊された。

2010年に復元された光化門には、かつての任泰瑛の字を復元した扁額が掲げられた。しかし、横3.9メートル、縦1.5メートルと大きく、復元から2カ月で上下に亀裂が入り不正疑惑が持ち上がったという。現在は補修されているが、この他にも「色がおかしい」などあちこちから問題が提起されたとのこと。その1つに「勤政殿(クンジョンジョン)・勤政門(クンジョンムン)・興礼門(フンレムン)など景福宮の他の扁額は黒地に金字」という主張がある。当時、文化財庁は「東京大学(1902年)、国立中央博物館(1916年)所蔵の写真を見れば、白地に黒字が正しい」と主張していたとされる。しかし、2016年に米スミソニアン博物館所蔵の写真(1893年ごろ)が現れたことにより「字が背景より明るく見える」と再び物議を醸したのだ。

これを受け、文化財庁は昨年、同扁額に対する「科学的分析」に突入。中央(チュンアン)大学産学協力団と共に白黒写真と同じ扁額の色を探すための実験を行なったそうだ。そして1年後に「黒地に金箔文字」という結論に達したとされる。専門家は「文化財庁の対応が遅かった」と非難、「文化財復元問題においては、さらに精密に研究を進める必要がある」と指摘している。

韓国のネットユーザーからは「文化財庁さすが」「本当に元通りに直してくれるのなら賛成」「扁額を変えることで国が元気になったらいいな。小さなことから1つずつ元通りにしていったら子孫が美しい世の中で暮らせる」と賛成意見が目立つ。

賛成意見と関連して「朴正熙の痕跡は消して」「朴正熙のハングル扁額はおぞましかった。歴史を正すならまずは親日派の処断から」との声もなかなか多い。

ただし一方で「現代はハングルが主流だから扁額もハングルにすべき。外国人が韓国の重要文化財の漢字を見たらどう思うかな?」「我々が今していることが後々考証されることになる。韓民族が韓民族の文化財を補修しているのだから、未練がましく考証に頼るのはやめよう」「放っておいたら?そもそも原型を知らないことだし。税金の無駄遣い」など反対の声も上がった。(翻訳・編集/松村)
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