<コラム>日本人の子どもの絵を中国の絵画講師が注意、日本でなら逆に褒められるのに

配信日時:2018年2月7日(水) 22時20分
日本人の子どもの絵を中国の絵画講師が注意、日本なら褒められるのに
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私は現在趣味でバイオリンをやっている。一応経歴だけは長く30年近くやっている。資料写真。
今回はネタ元と視点をちょっと変えてお届けしたい。毎回私の自伝的内容では読んで下さる皆様も飽きてしまうかもしれないため、この数日読み直した書籍の内容から語りたいと思う。

私は今、趣味でバイオリンをやっている。一応経歴だけは長く30年近くやっている。途中で受験や仕事や子育てで中断したことがあったものの、数十年前から再開し、現在はアマチュアオーケストラに所属。所属団体以外にも依頼があると流しのバイオリン弾きと称して他のアマチュアオケから依頼があれば参加させていただいている生活をこの数年やっている。

自分が演奏する以外にも時間があれば演奏会にも足を運び、至福の時間を過ごすようにしている。私は基本バイオリン弾きだが、ピアノの曲も聴いている。そして私が基本的に好きなプロの演奏家のほとんどがアジア系の奏者だ。恐らく自分がアジア人なので共感できるということもある。そして、最近特に好きなバイオリン奏者は韓国系アメリカ人、ピアノは中国人のランランだ。

ランランは言うまでもなく現在は世界的な知名度になっている。私がランランを知ったのは彼が日本でデビューした直後だったと記憶している。彼の名前もインパクトがあったのは言うまでもなく、同時にどんな演奏をするのだろう?と興味津々だったので、彼のCDを聴いたりしていた。

そして数年前に東京で彼の演奏を聴くべくホールに足を運んだ。当然、実際の演奏会に行く前にYouTubeなどで彼の演奏会の動画を見て予習した。実際に彼の演奏をナマで見た感想は、情緒豊かな、躍動感にあふれていた。そして何よりも楽しそうに演奏している姿が印象的だった。彼の演奏がここまで躍動感あふれ、彼の持っている天性の表現とも言える演奏ができるエネルギッシュさは一体何だろう?とその当時は思った。そして、最近なぜか彼の自伝を読み返してみたくなり、1日かけて一気に読んだ。その内容から垣間見えてきた、当時彼が中国で暮らし、ピアノの練習や当時の中国の有り様を見てみると、彼が暮らしていた80年代から90年初頭の中国を思い出してみると、私が中国に足を運び、また生活し、見てきた光景や様子を思い出した。

彼の自伝によると80年代の中国の音楽教育に対する概念や教育方法は欧米諸国とは180度違っていた。当時の中国の音楽教育現場では教師の存在は絶対的であると同時に、音楽教師は音楽の根本を重んじる教師もいるが、教師自身の地位や一部の教師においては生徒の親からの金銭的な行為により左右され生徒を評価する風潮にあったようだ。(しかし、ランランの家庭は貧しかったため、教師に金銭を渡すということが不可能だった)こうした事が生徒の成績に反映されるようだ。

そして、中国における音楽教育は生徒の個性よりも教師の教える方法に従わせるという教育方法だった。俗に言う枠にはめてしまう教育だ。この点に関しては日本も変わらない。

これを象徴する例がある。私が中国にいた時にある日本人駐在員の奥様と話す機会があった。その中でこの方が、今自分の子どもを絵の教室に通わせているのだが、自分にはどうも納得できないことがある。それは、例えば先生が子どもに木の絵を写生させ、子どもの絵を見て先生が言ったのが「私は木の絵を描きなさいと言ったよ。どうして木の下にある雑草や木以外の物を描くの?」と言われたそう。この話を聞いて中国の教育の現状がわかったような気がした。もし、これが日本や欧米なら「貴方の観察力は素晴らしい」と言うだろう。そして、雑草を描いてとがめる教師はほぼいないだろう。

中国はまさにこうした教育なのか!だから芸術家が育たないのか?とも思った。だからランランのような情緒豊かで表現力豊かなピアニストは、中国で活躍していたら彼の才能と実力は死んでしまっていたのかもしれないとも思った。ランランのような音楽家は恐らく中国の音楽教育の枠では収まりきれない、これを超えたレベルだったに違いない。私は彼の自伝を読んで感じた。

しかし、ランランの父親は分かっていても現実問題として中国のこの現状に従うしかなかった。なぜなら我が子を一流にさせるにはまず中国のトップにならなくてはいけない。トップになるためには中国の音楽教育のトップの教師につかなければならないという現実を受け入れるしかなかったのだから。現実と我が子の才能の板挟みになった父親はさぞや葛藤していたに違いないが、ある日父親は爆発してしまったという。

音楽に関してだけ言えば欧米は違う。いくら国際的コンクールで優勝だの獲得していても、彼ら欧米の音楽界の重鎮は肩書だけでは判断しないようだ。それが証拠に現在世界で名を馳せている一流と言われる音楽家で国際コンクールに出場し、優勝しているかいないか?いてもごくわずかだ。全ては本人の演奏を聴いてから判断する。そして、ランランにもそのチャンスが巡ってきて、彼は見事に世界の音楽界の重鎮に認められたと言える。そして、欧米の音楽業界においては優等生な演奏は余り求めていないようだ。それはそうだろう。全ての演奏家が楽譜通りの何も変化のない演奏をするなら演奏会も必要ないし、聴衆は面白みを感じないのだから。楽器の演奏は本人の感性やあらゆる知識を演奏に反映させることにあるのだから。その点で言えばランランの演奏は欧米の音楽界においては適任と言えるのだろう。

本来音楽というものは自由な表現があるはずのものだ(ただし、基礎をきちんと会得した上での自由表現が前提)。同じ曲を演奏させても演奏者によっては表現が異なるのは当たり前。ところが中国の音楽教育は型にはめてしまうような教育だ。そうした環境で教育されたほとんどの生徒は疑問を持たずに、教師の言うままの方法で演奏していく。ランランはそうした中国の型にはまった教育方法では収まり切れないほどの才能と感情の豊かさを持ち合わせていたのに、素直に彼の才能や努力を認めなかった教師が存在していた。

しかし、彼の個性を理解していた地元のピアノ教師だけは彼の事を理解し、精神的にも支えていたようだ。ランランのことを真から認め、精神的支えになってくれた教師は生徒の親からお金は決して受け取ることがなかったそうだが、ランランの実力を認めずに半ば嫌がらせをしていた教師は、生徒の親から金銭を受け取っていたような教師だった。生徒の実力よりも親御さんから受け取る金銭によって生徒を評価する。しかし、これはいかにも中国らしいとも言える。

そして、日本の音楽教育もそうなのだが、本来楽器を演奏するというのは技術的な面ばかりではなく、これに付随する教養や日常の生活の中で見たり経験したりすることが反映されるのに、中国や日本の音楽教育はとにかく技術やテクニックを上達させることを教育者は重要視する(私のバイオリンの師匠がこれに関しては嘆いている)。

さらにこの自伝では、ランランが紆余曲折を経て、アメリカで音楽界の巨匠に見いだされ、アメリカの聴衆にも認められるようになったことがつづられている。

実はランランは世界的なピアノの国際コンクールには一度も出場していなく、もちろん賞も獲っていない。彼自身は参加したかったようなのだが、アメリカの音楽学院の教授が彼がコンクールに出場することを良しとしなかった。それはランランの本領が潰されてしまうと思ったのと、コンクールは審査員に気に入られるように演奏しなくてはならず、本来の音楽の信念からは外れるので、ランランにはそうなってほしくないと考えていたからだ(こうしたことを助言できるのはひとえにこの教授がランランの実力と良い点を見抜いているからと思われる)。

アメリカの音楽界においてコンクールで賞を取ったか取らないかというのは重要ではないらしいが、中国では違った。ランランが中国凱旋公演としてアメリカの有名なオーケストラと共演をする予定だった。しかし、中国側がランランが国際的なピアノコンクールに一度も出場したことがないという理由で当初はランランがソリストとし中国で公演することに難色を示した。ソリストをもっと国際的ピアノコンクールで賞を取ったピアニストにしろ!と要求したのだが、アメリカ側はランランがソリストとして認められないのなら自分たちは中国公演はしない!と言い放った。結果、中国側が折れる形になった。

こうしたことからも分かるように、中国はその人間の実力よりも、肩書や経歴を重視する傾向にある。この点に関しては日本もさほど変わらないかもしれないが。

実はこうした概念は現在も変わらない。一昨年、私が医療通訳の依頼を受けた時に、仲介していた人が人間ドッグを受診したい病院をリクエストしてきた。私は自分の身内に医療関係に従事するものがいて、病気が発見された時に体制がしっかりしている人間ドック専門の病院を知っていたのでこちらを勧めたところ、仲介人から「○○とか、○○とかの大学病院が良い!」と言ってきた。

しかし、私は身内や親戚に医者がいるので聞いてみたら、人間ドックくらいなら大学病院に特にこだわる必要は無いと言われ、その旨を仲介人に話したら、「いや、そこよりもやはり大学病院が良い!有名だし、設備も良さそうだし、何よりも中国人は有名で大きな病院でないと信用しないから」と言われた。私は仲介人に「中国ではそうかもしれないが、日本では違う!大学病院が良いわけではない。ましてや健康診断においては大学病院も他の個人の設備の整った病院も大差はない」と話したが、中国人は納得しないという。

ランランの自伝にあったように、中国人のこうしたブランド信仰のようなものは現在も変わっていない。なぜか?それは中国社会のシステムや背景と関係があるように思える。中国は近代現代に入ってから、人々の価値観を180度変えなくてはならないような出来事があったし、そうしなければ行きていけないという現実もあったに違いない。こうしたことがブランド信仰主義とも言える現象を生んでいるのかもしれないが、こと芸術に関してはこうしたブランド信仰は通用しないか、長くは続かないと思われる。

しかし、最近の中国も日本や世界と同様にネット社会になってきている。このネット社会が最近の中国の若者の価値観の基準を柔軟にさせているとも言える。若者は日本同様に情報発信を好み、こうした情報発信から多様な価値観を得ているようなので、今後は中国の価値基準が以前とは変化してくることを期待したい。元々中国は国土が広く、地域性も多様なため、当然人間も多様でバラエティーに富んでいる。こうした点が芸術方面に発揮、反映されたら将来はとんでもない逸材が発掘され、登場するかもしれない。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子
1967年生まれ。千葉県出身。中国浙江省杭州大学(現浙江大学)漢語進修コースに1年留学。広西チワン族自治区外貿公司駐日本代表事務所に5年の勤務、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業主婦が30年間自分の目で見て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。
※掲載している内容はコラムニスト個人の見解であり、弊社の立場や意見を代表するものではありません。
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