<レコチャ広場>中国の大学生400人が日本に到着、日中関係回復の兆し

Record China    2010年10月14日(木) 12時53分

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13日、香港紙・中国新聞早報の特約記者、侯金亮氏が「中国の大学生400人が訪日した背景」と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。写真は10日、浙江省杭州市のお茶の里、龍井で開催された日中韓の茶道交流会。

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2010年10月13日、香港紙・中国新聞早報の特約記者、侯金亮(ホウ・ジンリアン)氏が「中国の大学生400人が訪日した背景」と題した記事を中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載した。以下はその内容。

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中国の大学生400人の訪日代表団が12日、予定通り来日を果たした(日本新華僑報電子版より)。尖閣諸島沖での衝突事件で中断していた日中両国の民間交流が回復に向かっていることの証だろう。中国の温家宝(ウェン・ジアバオ)首相と日本の菅直人首相による「廊下懇談」で閣僚・民間レベルの交流を再開させることで合意したことを受けたもので、日中の防衛相がベトナムで行った「エレベーターでの話し合い」に次ぐ重要な一歩となった。

こうした動きは、日中の経済相互依存度が強まっていることを意味している。中国の閣僚の言葉を借りれば、もはや「あなたの中に私がいて、私の中にあなたがいる」関係だ。両国関係が不安定に陥れば、双方に大きなダメージを与えることになる。両国は近年、経済・文化・教育など多方面において政府間の交流を進め、成果をあげてきた。それをたった1度の突発的な事件ですべてを台無しにしてしまうことは出来ないだろう。

日中の交流の歴史は倭奴国王が建武中元2年(57年)、後漢の光武帝に朝貢したのが始まりである。唐の時代には両国の往来が活発化し、唐文化の影響を強く受けた日本では白鳳文化や天平文化が生まれた。有名な詩人、李白と遣唐使だった阿倍仲麻呂が固い友情で結ばれていたことも良く知られている。この頃が両国関係の黄金時代だったともいえるだろう。

政治・経済では互恵関係にあった両国だが、文化においては、中国は日本の先生だった。中国の茶道や禅宗が日本に伝わったのもこの頃だ。建築、医学、書画、印刷なども日本人は好んで学んだ。このように2000年以上にわたり友好関係を築いてきた両国。ただ、1895年の日清戦争から1945年の日本降伏までの期間、日本が中国を戦略したことで友好の伝統が壊され、両国関係はひどく後退してしまった。

新しい世紀に入り、両国の交流は緊密さを増し、相互依存の関係が形成されるまでになった。今回の衝突事件を通じ、両国は危機への対応と処理の仕方を学んだといえるだろう。日中関係は今、正常な軌道に戻ろうとしている。(翻訳・編集/NN)

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