<日本人が見た中国>こんなに違う!日本人と中国人にとっての「公」と「私」

Record China    2010年4月15日(木) 21時46分

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13日、中国在住の日本人コラムニスト、加藤嘉一氏は「日本と中国では正反対の『公』と『私』」と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。写真は北京の地下鉄。

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2010年4月13日、中国在住の日本人コラムニスト、加藤嘉一氏は「日本と中国では正反対の『公』と『私』」と題した記事を中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載した。以下はその概略。

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1週間ほど日本に一時帰国した。日本人は公共の場で決して騒がないし、秩序も乱さない。だが、家に帰ると一転、大いに羽目をはずすし、大いにくつろぐ。北京に戻ると、公共の場の混乱ぶりを改めて感じた。だが、中国人は家に帰ると途端に静かになり、家の中も整然と片付いている。両者はまるで正反対だ。では、なぜここまで「公」と「私」に対する考え方が違うのか?

中国人の思考回路はこうだ。公共の場はみんなで使う場所で、1人1人に公平に与えられたもの。「だから」何をしても良い。交差点でも車の運転中でも自転車でも歩きでも、とにかく少しでもすきがあれば割り込んでいく。誰もがそうだから自分もそうしなければ永遠に渡れない。公共道徳や社会的マナーなど捨てざるを得ないのだ。

例えば駅の切符売り場。みな切符を手に入れようと必死で、わずかなすきを狙って割り込む。なぜなら行列は単なる形式に過ぎないと思っているからだ。いつまでも大人しくその場に並んでいても目的は達成できない。中国人にとって公共の場はまさに弱肉強食の世界だ。自分から勝ち取らなければ「損をする」。中国人は「損をする」ことが耐えられない。そのため、懸命に「頑張る」のだ。

一方、日本人はどうだろう?同じように公共の場はみんなで使う場所で、1人1人に公平に与えられたものだと思っている。「だから」社会人として秩序やマナーは守らなければならない。交差点でも車の運転中でも自転車でも歩きでも、信号が黄色や赤になったら誰もが当たり前のように止まり、青になったら渡る。日本人は普段から当たり前のことを当たり前にしているだけ。公共道徳や社会的マナーなどとわざわざ意識することはない。

同じく駅の切符売り場。みな焦っているが、どうすれば最も早く切符が手に入るかを知っている。それは「人が少ない列に並ぶこと」だ。普通に並ぶことが最も確実で疲労度も少なく、効率が良い方法だと分かっている。割り込みすると周りから白い目で見られるため、そんなことはしない。日本人にとって公共の場とは譲り合いと協調の世界。そのため、大勢の前で後ろ指を指されないよう、懸命に「頑張る」のだ。(翻訳・編集/NN)

●加藤嘉一

日中関係などを主な専門分野とするコラムニスト、コメンテーター。国費留学生として、北京大学国際関係学院に03年より在籍中。各メディアやフォーラムで活躍するほか、現地中学校の日本語講師、同時通訳者としても活動する。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

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