<前総統銃撃事件>5年前の事実解明に再調査、依然残る4つの謎―台湾

Record China    2009年11月14日(土) 10時58分

拡大

12日、台湾の陳水扁前総統が2期目の総統選に出馬した04年に銃撃された事件について、最新の調査報告が監察機関によって発表された。報告では、事件当時の捜査では明かされなかった4つの疑問点が指摘されている。写真は陳水扁前総統。

(1 / 3 枚)

2009年11月12日、台湾の陳水扁(ちん・すいへん)前総統が2期目の総統選に出馬した04年に銃撃された事件について、最新の調査報告が監察機関によって発表された。台湾・聯合報の報道を中国新聞社が伝えた。

その他の写真

04年3月19日、台湾総統選の投票前夜、当時2期目の総統就任を目指していた陳水扁総統(当時)が、副総統候補の呂秀蓮(リュー・シウリエン)氏と台南市でパレード中に銃撃を受ける事件が発生した。実行犯とされた陳義雄(チェン・イーシオン)は発見時にすでに死亡しており不起訴処分となったが、遺族は無罪を主張していた。08年11月、遺族の陳情を受け入れる形で呉豊山(ウー・フォンシャン)監察委員が再調査を開始した。

このほどの報告では、事件当時の捜査では明かされなかった4つの疑問点を指摘した。

1)当局が当時に発表した実行犯の死亡推定日時と死亡原因は、遺体に巻きついていたロープと遺体に残された瘢痕などの状態から判断すれば、事実と符号しない。

2)当局は当時、犯行理由について実行犯の残したメモ書きや過去の発言などから「陳水扁総統への不満」としたが、実際に放たれた銃弾は1発目が呂秀蓮氏に、2発目が陳氏と呂氏が乗っていたジープに向けられたものである。2発目の銃弾は呂氏に向けられたものの、弾道が逸れたものと専門家は鑑別した。

3)当局は当時、2発の銃弾は同一の拳銃によって発砲されたとしたが、これは後の鑑別結果と一致しない。

4)事件で腹部を負傷した陳総統だが、事件発生当時に着用していた衣服には、その相当部分に血痕が存在しなかった。

当時、銃撃された呂秀蓮氏自身も「1発目の銃弾は確かに私に向けられた」と認めている。また、当時の捜査が徹底した真相究明に至らなかった点について非常に遺憾としている。呂氏自身は、「実行犯は他にもいる」との考えがあることも示した。

呉監察委員は、このほどの調査を「私情を一切排した公正で客観的なもの」としたうえで、「今回の結果報告はすべての人々を満足させるには至らなかったかもしれない。事件の真相は依然不明のままだが、調査の目的は事実の解明以上に、当時の捜索活動に不備がなかったかどうかを究明することだ」とし、今後も調査続行の意思も示している。

●陳水扁(ちん・すいへん)

1951年、台湾台南県生まれ。台湾大学を卒業後、史上最年少(当時)で弁護士に。81年台北市議、94年台北市長を経て00年に台湾総統に就任。台湾独立を掲げる民進党からの出馬で、長らく続いた国民党政権に民主選挙による終止符を打つことになり、歴史的勝利となった。民衆に近いクリーンな政治を展開したが、次第に金銭がらみのスキャンダルが明るみになる。08年に退任後、資金洗浄疑惑への追及がはじまり、同年11月に身柄拘束。09年1月に公判がはじまり、同年9月、機密費横領・収賄・資金洗浄などの罪状により無期懲役などの判決が下った。(翻訳・編集/愛玉)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携