<レコチャ広場>「お手本にせよ」、魯迅はなぜ日本を批判しなかったか―中国

Record China    2009年8月19日(水) 21時54分

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18日、北京大学メディア研究者の王錦思氏はブログで、中国の文豪、魯迅が痛烈に中国人の国民性を批判する一方、日本人のことはべた褒めしていたと論じた。写真は魯迅故居。

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2009年8月18日、北京大学メディア研究者の王錦思(ワン・ジンスー)氏はブログで、中国の文豪、魯迅(ろじん)が痛烈に中国人の国民性を批判する一方、日本人のことはべた褒めしていたと論じた。

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魯迅は1902年に日本に留学、04年から06年にかけて仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に学んだ。留学中、同胞が処刑される様子を喝采しながら見学する中国人の姿を写したスライドを見て、医学を捨て、「中国人の精神改造」を自らの使命と課す。魯迅にとっての中国人は代表作「阿Q正伝」の主人公・阿Qそのもの。一方で、日本人の国民性は「真面目で勤勉で品性が高い」と手放しで褒めていた。満州事変で抗日機運が高まっている時でさえ、「日本人をお手本にせよ」「中国人に欠けているのは日本人のような勤勉さだ」と愛国青年たちを説得。日本人に学ぶことが中国人の精神を治す特効薬だと考えていたのである。

王氏は、南京大虐殺盧溝橋事件は魯迅が亡くなった翌年に勃発したとして、魯迅が「日本の侵略の危険性を正しく認識していなかった」と否定的に語る一方、日本を代表する作家の村上春樹に影響を与えるなど、日中友好に果たした功績も否定できないと指摘。その上で、仙台時代の恩師への尊敬や思慕を綴った「藤野先生」などを代表とする魯迅の作品は長い時を経て今もなお、日中友好の促進に指導的な意義を持つと評価した。(翻訳・編集/NN)

●王錦思(ワン・ジンスー)

北京大学メディア研究者。吉林省徳恵市出身、北京在住。日中関係、中国問題、国際情勢について数多くの記事を発表。日中戦争や日中友好に関する物品の収集家でもある。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

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