毛沢東の人生に影響を与えた6人の女性たち―中国

Record China    2009年5月29日(金) 8時21分

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27日、中国建国の父、毛沢東の人生に影響を与えた6人の女性について、中国共産党系のニュースサイトが紹介した。写真は毛沢東グッズのコレクター。

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2009年5月27日、中国共産党機関紙・人民日報が発信するニュースサイト「中国共産党新聞」(電子版)は、毛沢東の人生に影響を与えた6人の女性について紹介した。

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毛沢東がこの世で最初に影響を受けた女性は、母親の文七妹だった。文は勤勉で善良な女性。1867年、湖南省湘潭県韶山村から20km離れた村の貧しい家庭に生まれ、18歳で小作農の毛順生に嫁いだ。1893年に毛を出産。毛が26歳の時に亡くなった。当時、毛は「祭母文」と題した四言詩で母親への強い愛慕の念を綴っている。

最初の妻、羅氏は美人でスタイルが良く、穏やかな女性。毛の祖父の従妹だった。親戚同士の結婚がよしとされていた時代。毛の父親が息子の嫁にと熱望し、毛も黙って従った。だが結婚3年目の冬、21歳の羅氏は赤痢でこの世を去る。毛は当時、17歳。2人は1度も生活を共にすることはなかった。毛は後に「1度も妻と思ったことはない」と語っている。

毛が最初の妻との結婚に気が進まなかったのは、幼馴染の女性、王十姑の存在が大きかったせいといわれている。2人は結婚を誓い合う仲だったが、占い師に「相性が良くない」と言われ、破談。王はその後、親が決めた相手と結婚し、間もなく亡くなった。50年代になり、王の孫娘から初めてこの事実を聞いた毛沢東は、深いため息をついたという。

毛が人生で最も愛したのは2番目の妻、楊開慧だ。五四運動で唱えられた「個人の解放」「自由恋愛」といった新しい思想の下に結ばれた2人。19歳で毛と結婚し、2人の息子をもうけた。国共内戦の時代、夫の毛を支え続けてきたが、国民党系の軍閥に捕らえられる。毛との決別を宣言すれば釈放すると迫られたが、断って処刑された。29歳だった。

3番目の妻、賀子珍は、長征時代を共に過ごした戦友。自己犠牲の人でもあった。長征中に負傷したが、快復後の38年、旧ソ連に留学。間もなく生まれた子供は夭逝した。その後、毛が送り込んだ娘の李敏も病気になり、治療をめぐるトラブルが原因で精神病に。長い間、毛に帰国を許されなかったが、47年に帰国。59年、22年ぶりに毛との再会を果たした。

毛と最も長い結婚生活を送ったのは4番目の妻、江青だ。元女優の江は何度かの結婚・離婚を繰り返した後、第二次上海事変で上海を追われ、毛のいる延安にたどり着く。美人で器量よしの江はすぐに毛の目にとまり、2人は恋愛関係に。だが、江が党内で苦境に立たされた際、毛が口添えしなかったことで険悪な関係となる。毛は「離婚したくても出来ない。政治的な要素が絡み過ぎている」とぼやいていたという。(翻訳・編集/NN)

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