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張学良旧居を訪れ学ぶ大学院生―遼寧省瀋陽市

配信日時:2006年9月19日(火) 14時31分
張学良旧居を訪れ学ぶ大学院生―遼寧省瀋陽市
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徹底した抗日を貫いた張学良は、中国で高い評価を受けている。満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた9月18日、大学院生たちがここを訪れて張学良の人生に思いを馳せた。
2006年9月18日、九一八事変(柳条湖事件)からちょうど75年を迎えたこの日、瀋陽(しんよう)薬科大学の30名余の大学院生は、遼寧(りょうねい)省瀋陽市にある張学良(ちょうがくりょう)の旧居陳列館を見学して、張将軍の人生をたどり、将軍の愛国心について勉強した。張学良は張作霖(ちょうさくりん)の長男として1901年に遼寧省に生まれ、2001年にハワイで死去した中国の軍人・政治家。1928年に日本軍に爆殺された父から,東北の軍閥支配権を継いだが,日本の圧力に屈せず南京(なんきん)国民党政府との提携を断行した。1930年陸海空軍副司令官に就任,華北の全権を掌握したが,翌年の満州事変の際,蒋介石(しょうかいせき)の対日妥協方針のため戦わずに東北を去り,外遊にでた。1934年に帰国し,1935年紅軍の長征に伴い西北剿匪(そうひ)副司令に就任,西安(せいあん)の中共根拠地包囲戦を指揮した。しかし内戦停止・徹底抗日の必要性を認識していた張は,翌年12月蒋介石に申し入れたが聞き入れられなかったため,蒋を西安に監禁して(西安事件)抗日への約束をとりつけた。内戦停止・徹底抗日は紅軍の主張でもあったため,西安事件は第2次国共合作・抗日民族統一戦線の結成へとつながった。中国では「千古の功臣」、「民族の英雄」と呼ばれ、非常に高く評価されている。逆に台湾では正反対の「千古の罪人」として扱われ、特に親日派は激しく批判している。

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