犯人は西太后か?光緒帝の突然死、ヒ素中毒と確定―中国

Record China    2008年11月4日(火) 7時0分

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11月2日、清朝第11代皇帝「光緒帝」の死因はヒ素中毒と判明した。これまでその死を巡ってさまざまな説があったが、死後100年経ち、最新の科学技術によってついにその死因が確定したという。写真は西太后が愛した離宮・頤和園。

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2008年11月2日、清朝第11代皇帝・光緒帝が突然この世を去って100年後の今年、国家事業の一環として立ち上げられた専門チームがその死の謎を解いた。光緒帝の死因は噂どおり「ヒ素中毒」によるものだった。「中国新聞網」の報道。

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「清朝光緒帝死因研究報告会」は2日、光緒帝「崩御」は急性胃腸性ヒ素中毒によるものと断定。1908年(光緒34年)11月、光緒帝は38歳の若さで幽閉先の南海で死去。伯母である西太后に毒殺されたという噂が当初から流れていた。この謎に取り組んだのは、「国家清朝史編纂修工程重大学術問題研究専門プロジェクト」の1つとして、国営テレビ局の中央電視台(CCTV)、清朝西陵文物管理処、中国原子能(エネルギー)科学研究院、北京市公安局法医検験鑑定センターの専門家らによって2003年に編成された特別研究チーム。

帝の遺髪や遺骨、埋葬時の衣服や副葬品などを繰り返し検査、分析。「機器中性子放射化分析法(INAA)」や「蛍光X線分析法(XRF)」などの最新科学技術を駆使した結果、遺髪と衣服から合計で201mgのヒ素が検出されたという。人間の致死量は約60〜200mgであることから、いかに大量のヒ素が投与されたかがわかる。

奇しくも08年11月14日は光緒帝没後100周年に当たるため、この時期に死因が確定したことに同チームは特別な感慨を抱いているという。(翻訳・編集/本郷)

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