30年間で97回南京を訪問した日本人小学校教師「日本政府は謝罪すべき」

人民網日本語版    2017年12月18日(月) 18時0分

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南京大虐殺犠牲者追悼式典に参加した日本の市民団体「銘心会」の松岡環会長は14日、日本人18人と共に、中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館と南京市内の南京大虐殺遺跡を見学した。写真は大阪で自身が製作した南京大虐殺関連のドキュメンタリーを紹介する松岡会長。

南京大虐殺の遺跡を見学するたびに、歴史を鏡とすることの重要性を再認識させられる」。南京大虐殺犠牲者の追悼式典に参加した日本の市民団体「銘心会」の松岡環会長(70)は14日、日本人18人と共に、中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館と南京市内の南京大虐殺遺跡を見学した。人民日報が伝えた。

日本の右翼は松岡会長を目の敵にしているのに対して、南京大虐殺の生存者にとって松岡会長は、「日本の良心」となっている。松岡会長は1988年に初めて南京を訪問し、今回で97回目の訪問となった。ここ30年、「南京大虐殺の資料を求めて当事者を訪ねたり、日本人を含む各国の人々に、南京大虐殺について伝えたりする」というのが松岡会長の生活の中心となってきた。

「動かぬ証拠は山ほどあり、改ざんできない」

小学校の教師である松岡会長は80年代に6年生の歴史の授業を教えていたとき、教科書が広島と長崎に原爆を落とされたことなど、日本が被害を受けたことばかりを強調しているのに対して、日本が中国を侵略し、中国の国民に甚大な被害をもたらしたことには触れていないことに気付くようになった。

「日本政府が歴史と向き合っておらず、不公平だと私は思う」。歴史の真相を知るため、松岡会長はすぐに中国へ行き、中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館と中国人民抗日戦争紀念館を訪問した。松岡会長は、「南京大虐殺の生存者の話を聞いて、その悲惨さと、歴史の真相に本当に驚愕した」と振り返った。

その南京訪問が松岡会長の人生を大きく変えた。大阪に戻った松岡会長は、日本の右翼が「南京大虐殺は中国人がねつ造した」、「旧日本軍は残酷なことはしていない」などと偽りを語っているのを耳にし、「南京大虐殺の動かぬ証拠は山ほどあり、改ざんすることはできない」と憤りを感じ、「右翼の間違った言動を批判できるように、資料収集することにした」という。

南京大虐殺から60周年となった97年、松岡会長は「南京大虐殺ホットライン」を設置して、日本の新聞に、中国侵略を経験した旧日本軍の元兵士の詳細な証言や日記、写真、手紙などの資料を求める掲載を行った。また、南京を訪問し、南京大虐殺の生存者を探した。そのようにして、普通の小学校教師だった松岡会長は、南京と密接な関係を築くようになった。

右翼の脅しや妨害、元兵士の拒絶、反対などに面したものの、強い信念を抱く松岡会長は決してあきらめなかった。松岡会長は調査の過程で、日本の元兵士や中国の生存者が語ることに多くの共通点があることに気付くようになった。「日中双方の手がかりが事実を裏付けており、日本の右翼は言い返すことができない」。松岡会長は調査を継続するという決意を一層固め、自信をもって取り組むことができるようになった。これまでに、松岡会長は約250人の日本の元兵士を訪ねてきた。

2002年、松岡会長は著作「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言」を日本で刊行したほか、その後もさまざまな証言を基にしたドキュメンタリー「南京 引き裂かれた記憶」などを製作した。松岡会長は日本各地でそれらドキュメンタリーの上映を頻繁に行っているほか、関連図書を販売している。「書籍とドキュメンタリーは私が集めた資料をまとめており、日本の右翼のうそを暴く切り札」と松岡会長。

「戦争は鏡のようで、平和の大切さを教えてくれる」

初めて南京を訪問して約2年後、松岡会長は訪中団「中国侵略戦争歴史学習団」を企画するようになり、他の日本人と共に中国を訪問し、日本の中国侵略戦争史をよく知るように努めるようになった。松岡会長と共に、中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館などを見学した日本人は現在までに約700人に達している。

「戦争は鏡のようで、平和の大切さを教えてくれる」。松岡会長は、「訪中団に参加する日本人は中国へ行く前に資料を探し、関連の歴史を調べておくが、実際に中国へ行き、紀念館を見学したり、被害者の話を聞いたりすると、その悲惨さと戦争の残酷さに驚愕させられる」と話した。

青少年は国家の未来を背負っている。05年から、松岡会長は訪中団のメンバーに大学生枠を設けるようになった。そして、非常に忙しいにもにかかわらず、若者が参加できるように、スポンサーを探し、時には自腹を切ることもあるという。

それでも、松岡会長は若者が訪中団に参加することを喜んでおり、「日本の若者が中国の大学教師や学生と交流すると、視野が大きく広がり、『旅行を通して、日本では学ぶことができない歴史に関する知識をたくさん学べた』と、心から話してくれる」と話した。また、それがきっかけで、新聞記者や教師になることを目指すようになる若者がいることも松岡会長はとても喜んでおり、「そうなれば、多くの日本人、次の世代の日本人にも、日本が中国を侵略した歴史を知る機会ができる」とした。

それだけでなく、松岡会長は西洋社会にも自身の調査結果を紹介している。10年から、松岡会長はカナダや米国の市民団体と協力し、ドキュメンタリーを上映したり、講演を行ったりして、現地の人々に日本が中国を侵略した歴史を紹介している。松岡会長はカナダで、現地の学生や市民を対象に自身が製作した南京大虐殺を描くドキュメンタリーを上映してきた。

「全世界が南京大虐殺の歴史を銘記するべき。平和のために、南京大虐殺の悲劇が二度と起こらないために、記念日を設置することはとても大切」。カナダ中部オンタリオ州で12月13日を南京大虐殺記念日とする動議が可決された。

「歴史を鏡としてこそ、未来が切り開ける」

歴史を忘れることは裏切り行為にあたる。松岡会長は、「45年に敗戦して以降、日本は本当の意味で歴史に向き合っていない。日本は歴史と向き合い、誠実に中国人に謝罪しなければならない。安倍首相も南京へ行き、南京大虐殺犠牲者の追悼式典に参列し、犠牲者に謝罪し、黙とうを捧げなければならない」との見方を示した。

南京を100回近く訪問したことで、松岡会長は南京大虐殺の生存者から信頼されるようになっている。松岡会長は毎年、生存者を日本に招き、証言してもらっている。「生存者の張秀英さんは中国を侵略した旧日本軍の兵士に強姦され、生まれて3カ月の娘も生きたまま焼かれて亡くなった。その悲惨さに私も心が痛む。張さんは日本人を憎んでいる。でも、南京大虐殺の時に自分が経験したことを日本に来て話してほしいと頼むと、張さんは快く応じてくれた。日本に来た時、私は張さんと共に外務省へ行き、日本政府に対して、南京大虐殺を調査し、中国人に謝罪するよう求めた。張さんが亡くなるまで、私は毎年彼女に会いに行った。私が日本の右翼から攻撃されていることを知った彼女は心配して、『南京に住んだら』と言ってくれた」と松岡会長。

「過去の経験を忘れず、将来の戒めとしなければならない」。松岡会長は、「私のしていることは、全て日本がもっと良い方向へ発展するため。日本の教科書に侵略戦争の内容が盛り込まれ、今後の世代が歴史から教訓をくみ取るよう教えることを本当に願っている。歴史を鏡としてこそ、未来を切り開くことができる」と語った。(編集KN)

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