<北京五輪・関連>2000年の招致失敗、失意に沈んだ中国人―地元メディア

Record China    2008年7月20日(日) 22時29分

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18日、2000年の五輪開催地として立候補していた中国・北京市がわずか2票差でオーストラリア・シドニー市に敗れた当時の状況を、中国関係者が回想した。写真は01年7月、五輪招致成功に沸く北京。

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2008年7月18日、北京市は1993年のIOC(国際オリンピック委員会)総会においてわずか2票差で2000年夏季五輪大会の開催地をシドニー市に奪われた経験を持つ。中国の2000年五輪開催地立候補委員会委員で、2008年同委副秘書長兼渉外部長の張清(ジャン・チン)氏は「人民網」にて当時の様子をこう語っている。

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「93年にモンテカルロで開かれた第101回IOC総会の翌日、私はこれまでの投票結果を記した資料を手に入れた。それによると、4回行われた投票で前半の2回に89人、後半2回に88人の委員が参加。開票結果はなく、単に毎回落選した開催地名とその得票数が書かれていた。1回目の投票でイスタンブール、2回目にベルリンが消え、3回目にマンチェスターが姿を消したが、これら淘汰された都市の得票数のほとんどがシドニーに流れたことだけは明らかだった。」

「わずか2票差という残念な結果に、中国全体が『誰が北京に投票しなかったのか?』という犯人探しのような状態に陥ったが、実は今でも同様の質問を私にする人がいる。台湾や北朝鮮の名前を挙げる人もいるが、私は彼らが北京に投票したと信じている」

「とにかく当時の中国は『選ばれて当然、落選などありえない』という雰囲気に覆われており、北京落選は国民にとって到底受け入れ難いものだった。我々第一線で招致活動を行ってきた者には、シドニーと北京の実力は伯仲しているとわかっていたのだが…」(翻訳・編集/本郷)

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