<文化勲章受章インタビュー(3/3)>最先端の人材が集まれば水準上がる=発明には身近な事象への好奇心必要―藤嶋昭・東京理科大学長

八牧浩行    2017年10月25日(水) 5時0分

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今年の文化勲章受賞が決まった藤嶋昭・東京理科大学長は、インタビューの中で、「世の中には不思議で分からないことがいっぱいあり、身の回りの事象に感動することが大事。何事にも好奇心必要です」と呼びかけた。

ノーベル賞候補に毎年ノミネートされている藤嶋昭・東京理科大学長は、インタビューの中で、豊富な研究実績や教え子の留学生との交流から、自然界の驚異、教育・大学問題まで幅広く語った。「世の中には不思議で分からないことがいっぱいあり、身の回りの事象に感動することが大事。何事にも好奇心が必要です」と呼びかけた。

また、東京理科大の前身・東京物理学校卒の「坊ちゃん」(夏目漱石作)の主人公の時代には同校入学者のうち16人に1人の割合(6%)の学生しか卒業できなかったことを明らかにした上で、その伝統を受け継ぎ、学生を厳しく鍛え、理科系を中心とした総合大学としてノーベル賞級の研究者養成を目指す方針を述べた。

(聞き手=八牧浩行Record China主筆)

――藤嶋先生の講演は面白く引っ張りダコですね。子供向けのお話もとても人気があります。さらに古今東西の書物のお話も造詣が深く、若い世代が知るべき科学者108人を紹介した「時代を変えた科学者の名言」も出版されておられます。

この108人は単なる科学の専門家だけでなく、すべて全人格的です。彼らの深い人生を知ることは、若い世代にとってとても有益だと思います

――文人科学者といえばノーベル賞を受賞した朝永振一郎さんには大学で接しましたが、哲学、歴史など文科系の分野にも精通していました。

彼の「量子力学」の本を友人たちと合宿して読みました。科学者の必読書で素晴らしい本でした。

――朝永博士は文才もありました。先生の著作を読むと同じ読後感を持ちます。こういう形で発信されると、東京理科大で勉強したいという学生が増えるでしょうね。昨秋開催の理科大セミナーでは将来ノーベル賞受賞者を出したいとの熱意が伝わって来ました。留学生に対する期待は?

理科大の学部は留学生には難しく、卒業出来ない者も多い。運動部の所属部員やOB名簿では普通ほかの大学では何年卒と記しますが、理科大では何年入学で掲載します。卒業年次は分からないからです。昔から卒業は難しくて前身の物理学校の歴史を記録した文献によると、卒業できたのは入学者1000人のうちたった30人ですよ。3%ぐらいです。

夏目漱石が書いた「坊ちゃん」には理科大の前身の東京物理学校出の主人公が登場します。私の発見ですが、漱石は慶応3年(1866年)生まれ。翌々年が明治元年(1868年)。明治39年に坊ちゃんを書いたということは、新任の主人公がいつ卒業したかというと、明治37年でないと話が合わない。37年の卒業生は33人、坊ちゃんは3年で卒業できたと書いてありますので明治34年の入学。このときは833人が入学。なんと16人に1人しか卒業できない。坊ちゃんのモデルは優秀です(笑い)。 

――少数精鋭ぶりには驚きます。徹底的に鍛えて、ついてこられない学生はオミットしてしまうんですね。

(当時は)夜間ですから勉強したい人は来なさい、そうでなければ去りなさいということです。そのうちの一人が坊ちゃん(笑い)。今も1割ぐらいが留年します。留学生は来ても特別扱いはしませんから難しいので、なかなか卒業できない学生もいます。大学院は英語での講義もありますが。

――かつて先生が東大研究室で実践されたように、厳選した将来トップリーダーになる素晴らしい人を国内外から呼んできて鍛えれば、ノーベル賞などにつながる可能性もあるのでしょうね。

そうですね。優秀な留学生には是非来てもらいたいですね。

――今度、受験システムも変わるようですね。

理科の時間も増えてきましたからね。私は中学も高校も理科の教科書制作の編集会議では、委員長をやっており、原稿をチェックしています。

――多岐に渡るお仕事ですね。いろいろな偉人の科学者の言葉を紹介している著作も多いですね。

ニュートンの名著「光学」はすばらしいですね。虹が何故7色を示すかもニュートンですよ。国によっては6色と言うところもありますが。

――藤嶋先生は「常識を疑え」とも指摘されています。

何故、虹ができるかという疑問も追求すると面白い。角度が外側43度〜内側41度のところにどうしてできるのか。にわか雨が降ったあとなのか。次々に広がる疑問を考え処理することができ、科学が面白くなります。皇后陛下が英訳を担当されて出版された「虹」という本もいい本です。

――藤嶋先生は古今東西の書物、芸術に精通していますね。

英国王立科学所のクリスマス講演をここ理科大のホールでやりました。ケンブリッジ大学から講師が来て、講演と実験が行われました。科学でも芸術でも同時代の最先端の人材が集まると水準が高くなります。アインシュタイン、キューリー夫人はソルベー会議で一緒に討論していました。絵画ではモネ、ゴッホ、ゴーギャンなどが同時代に印象派の花の時代を築きました。パリのオルセー美術館に行くと、彼らの作品が展示されています。彼らは皆知り合いです。同じ時代に、同じ場所で、お互いに影響し合って切磋琢磨した。

――先生は毎年ノーベル賞候補にノミネートされていますね。各新聞社や通信社には「藤嶋番」もいます。ロンドン特派員時代ノーベル賞を報道しましたが、大変な作業です。スウェーデンには日本の各社とも記者がいないので、日本人がもらいそうな時だけ、出張したりします。

いやいや。東京理科大は理工系を中心とした総合大学としてノーベル賞級の研究者養成を目指し実践しています。教育理念として「自然・人間・社会とこれらの調和的発展のための科学と技術の創造」を掲げ、実力を備えた学生を卒業させる「実力主義」の伝統を受け継ぎ、教育と研究をともに重視する教育研究機関を目指しています。

――ところで中谷宇吉郎の「雪は天国からの手紙」は名著ですね。

夏目漱石の弟子が寺田寅彦で中谷は漱石の孫弟子になります。中谷宇吉郎は世界で初めて人工雪の結晶を作った人です。雪の結晶のほか、興味深い科学の話題が盛り込まれています。

――先生がいつも話される「天寿を全うする」というのは人類究極の理想ですね。皆が共感するでしょうね。

この世に生を受けたからには、少なくとも天寿を全うしたいとどの人も思っています。科学技術の最終目的は何かと問えば、このどの人も望んでいる、天寿を全うすることに寄与することだと思います。

――東京理科大は先生が学長に就任されて以来、雰囲気変わりましたね。学生も本をよく読み「文理両道」の教養を身に付けるようになったようです。

私自身も、休日には孫と自宅近くの川崎市中原図書館に行って、カードで10冊借りていろいろな分野の本を読むこともあります。

――今まさに、人文科学、社会科学、自然科学系を融合したリベラルアーツ教育が時流になっていますね。

理科大には現在2万人の学生が在籍し、文理融合を重視しています。埼玉県久喜に経営学部もありますが、ちょっと不便なので2年後に神楽坂に移転します。英語教育はネイティブの先生に沢山お願いして、小クラスにして実力をつけさせる。教養教育を大学院までやれと言っており、私は自分で授業も行っています。

――実利だけでなく「全人的な哲学」を「歴史から学ぶ」ということですね。読者への期待と夢や希望を伝える言葉はございますか。

私は講演の時に必ず「身の回りには面白い言葉や現象が多い。感動しながらよく見てみようよ」と呼びかけます。世の中には不思議で分からないことがいっぱいあります。身の回りのものに感動することが大事。何事にも好奇心です。面白いですよ。空がなぜ青いかという実験もそこからやっています。

最初、人は、青空は埃(ちり)によって空気中の青い光が散乱されるためだと思った。ところがヨーロッパの人がアルプスに登ってみると、空はさらに青くなった。今では空気中の酸素と窒素の分子が青い光を散乱することで説明されています。だから空気のない月の空は真黒ですよ。真空ですから。火星は赤かピンクとか言われている。炭酸ガスですから。太陽は日本だけ赤色で示しますね。国旗が赤だから。ほかの国では太陽は黄色か白。太陽の光が赤から紫まであるという発見をしたのはニュートンなんです。1665年にケンブリッジから自分の田舎に戻り、その書斎で太陽光をプリズムに通し、太陽光のスペクトル分布を発見しました。「ニュートンが解説している虹のしくみ」も凄い。何故虹になるかというのも本に全部書いてあります。

「科学関連書」だけでなく、古今東西の歴史書や中島敦の「李稜」とか「山月記」とか、唐詩選なども含め、多くの文学、文献にあたり、何でも勉強しなくてはという気持ちになっていただきたい。「山月記」にある「人生は何事も為さぬには余りに長いが、何事を為すには余りに短い」というフレーズは名言だと思います。

(完)

<藤嶋昭(ふじしま・あきら)氏プロフィール>

東京大学特別栄誉教授。66年横浜国立大学工学部卒業、71年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。東京大学工学部講師、同大学工学部助教授、同大学工学部教授、同大学大学院工学系研究科教授。03年4月より財団法人 神奈川科学技術アカデミー理事長、08年科学技術振興機構 中国総合研究センター長。2010年1月より東京理科大学学長(現在に至る)。日本化学会賞、紫綬褒章、日本国際賞、日本学士院賞を受賞。2010年文化功労者。2017年文化勲章受章。

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務めたほか、欧州、米国、アフリカ、中東、アジア諸国を取材。英国・サッチャー首相、中国・李鵬首相をはじめ多くの首脳と会見。東京都日中友好協会特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著・共著に「中国危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外国為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

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