<コラム>カズオ・イシグロ氏と日本文学を豊かにした台湾出身作家・温又柔さんの共通点

如月隼人    2017年10月10日(火) 18時50分

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「台湾生まれ・日本語育ち」の作家の温又柔さんは自らの考えを極めて率直に語った。最近になりで改めて気づいた。ノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロさんと極めて似ている。温さんは日本文学を、イシグロさんは英文学を豊かにしてくれる存在だ。写真は筆者提供。

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東京・虎ノ門にある台湾文化センターに温又柔さんの講演を聞きに行ったのは8月7日だった。温さんの話には感じることが多かった。コーディネートしたジャーナリストの野嶋剛さんとの対談も興味深かった。来場者との質疑応答にも刺激を受けた。このコラムにすぐにでも書こうと思った。書けるはずだった。ところが書き始めたとたんに考え込んでしまい、進められなくなった。最初は気づかなかったが、自分自身が長年抱えていた問題に関係すると気づいた。順を追ってご紹介したい。

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まずは温さんのことを簡単にご紹介しよう。ご両親は台湾人で、3歳の時から東京で暮らした。台湾語・中国語・日本語の飛び交う家庭環境で育った。法政大学国際文化学部卒業。同大学院国際文化専攻修士課程修了。自らの体験を投影させた小説「好去好来歌」を執筆し、2009年にすばる文学賞佳作に選ばれ作家デビュ−。15年には「台湾生まれ 日本語育ち」を刊行(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)。17年のすばる4月号で発表した「真ん中の子どもたち」は17年上半期の芥川賞の最終候補になった(集英社から同年4月26日に出版)。

次に、講演会当日に私が受けた印象をご紹介しよう。特に感じたのは「率直な人だ」ということだった。芥川賞の候補になった際には「書きたいから書いてきたのだが、自分の作品が多くの人に知られることは嬉しかった」と語った。さらにその理由として、自分のように「日本で育ったがルーツは外国の人が自分の本を読むかもしれない。それで元気が出るかもしれない」と説明した。

芥川賞の受賞を逃したことで、特に気落ちしたわけではなかった。応援してくれた人々をがっかりさせてしまったことはつらかったが、「(賞を)取っても取らなくても、私が書き続けることに変わりはない」と思った。

ここまでなら、同じようなことを言う作家は珍しくないだろう。興味深いのはその後だった。芥川賞の選考が行われていたのはちょうど、民進党蓮舫代表(当時)の国籍問題が話題になっていたころだ。温さんは日本国内の議論に大いに物足りなさを感じていたそうで、もし受賞できたら言いたいこと、言うべきと信じることを語って「NHKを電波ジャック」できたかもしれないと残念がった。

「移民出身の指導者が出てくれば、風通しよくなる。日本人にとっても息苦しくない国になれば、よいじゃないか」と発言することを“妄想”していたという。それができなかったのは、残念だったと明言した。しかも、受賞した沼田真佑さんには敬意を示しつつ「ジーパン1本しかないのに」と発言したことについては「そんなオシャレなセリフより蓮舫だろう。これが本音でした」と語った。

笑顔を交えつつ話しているので気にはならなかったが、同発言の最後の部分は「嫌味だ」と受け取られるリスクがゼロとは言えない。しかし温さんは、そういう自分の率直な気持ちを隠さない。自分の気持ちを隠せない性格なのだとも思えた。とにかく率直な人。これが私の温さんに対する印象だ。

ところで、本稿に着手しようとして書けなくなってしまったとご紹介した。なぜだか分からなくて困惑した。もやもやした時期を経たのちに、私自身の極めて個人的なことである「芸術作品の受けとめ問題」に関係していると気づいた。とは言っても文学ではなく音楽についてだ。

私はかなり若い時期から、音楽が好きだった。理論や演奏をかじったこともある。とりわけ多く聴いてきたのはクラシック系の音楽や民族系音楽だ。

グスタフ・マーラーという作曲家がいる。ボヘミア(現在はチェコの一部)出身のユダヤ人で、活躍したのは主にウィーン。生前にはむしろ指揮者として評価されたが、残した楽曲は現在も一流の作品として演奏され続けている。

そのマーラーの作品だが、ドイツ・オーストラリア系の「ベートーベン以降のクラシック音楽の本道」と言える構築力を持っている一方で、ドイツ系の作曲家とはかなり違う響きがある。それがマーラー作品の魅力のひとつでもある。興味を持って調べるといろいろなことが分かった。

マーラーは自分と周囲との異質性を強く感じていた。「オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人」と語ったことがあるという。

ドイツ・オーストラリア系の作曲法の真髄を極めていたのに、作品を発表した当時は「おかしな部分がある」と酷評されることも多かった。

私が高校生だったころだ。当時は「アジアの現状」についての関心はあまりなく、日本に韓国/北朝鮮、あるいは台湾をルーツとする人が多く住んでいることは知っていたが、マーラーが感じた「周囲との異質性」と関連づける発想はなかった。マーラーについては「自分とは遠い世界の西洋で、出自や経歴に悩んだ芸術家がいた」とだけ思った。そして自分が実感することのできない苦しみが背景にある作品を自分は大好きになったことに、うしろめたさを感じるようになった。

安直な気持ちでマーラーの作品に接したわけではない。マーラー作品に真剣に接して、自分の心に「好ましい変化」があったはずと、あえて言っておこう。しかし、私は「好き」で聴いている。一種の楽しみとしていることに違いはない。「自分とは無縁の苦悩」から生み出された側面のある作品を楽しみにしてよいのか。この疑問は私にずっとついて回った。

さて、本稿をなかなか書けなくなってしまったわけだが、その原因が分からなかった。自分の心の奥にあった「マーラー問題」と衝突しているのではと、やっと思い至ったわけだ。本当にそうなのかと自問自答を続けた。最近やっと、間違いないとの結論になった。

そして改めて、温さんの講演を記録したメモに目を通した。当日の光景が脳裏によみがえった。そして、実に平凡な結論を得た。「作り手は、作品に接してもらうことを望んでいる」ということだ。ならば、受け取り手が「その作品が好きだ」と感じたら遠慮は無用だ。作品の世界に浸り、作品から受け取れるものを、少しずつでもよいから受け取ればよいということだ。

どんな分野においても、創作者が世に出した作品に対して、まずは自分自身が「好きだ」という感情を抱いたら、それを信じて進んでいけばよい。温さんの講演に接して、あまりにも当たり前の結論に、初めて納得することができた。

マーラーの人と音楽の本質については、「マージナリティ(異邦性)」、つまり「地域的・社会的・文化的な帰属性が明らかでないため、独自な特性を持つこと」と論じる文章を読んだこともある。

私は、高校生のころから考えていた「マージナル」ということが自分の近くにも存在すると、これまで思い至ることができなかった。なんと迂闊なことかと、あきれてしまうばかりだ。

考えてみれば、日本も主に第二次世界大戦敗戦までの膨張や戦後に経済大国に成長できたことなどによって、「マージナルな人々」を大量に生み出したことになる。そして私は、温さんに接することにより、上記のマージナリティの定義にある「帰属性が明らかでない」の部分には、少々問題があると気づくことにもなった。

温さんが言葉の問題など、自らの「帰属性」についていろいろと悩んだことは事実だろう。しかし温さんはすでに、自分の立ち位置を「台湾生まれの日本語育ち」と明確に位置づけている。今後、この認識が揺らぐことはまずないと考えられる。

「台湾生まれの台湾語または中国語育ち」、「日本生まれの日本語育ち」といった人々に比べれば、温さんが少数派であることは間違いない。しかし彼女は少数派であるゆえに、自らという存在をとことん考えることになった。彼女はそのことで、作品という大きな収穫を手にすることになった。自分の「立ち位置」を確立した。もう、自分の「場所」や「帰属性」を思い悩むことは、ないのではないか。

そして彼女の作品は彼女だけの収穫であるのではなく、日本語話者全体にとっての収穫でもある。さらに、中国語に訳されれば中国語話者の、英語に訳されれば英語話者にとっての収穫になるだろう。

誤解を恐れずに言えば、彼女は「日本語社会」の中の“異分子”ということになる。しかし、温又柔という“異分子”が存在することで「日本語社会」はさらに豊かになっていく。また、温又柔という作家も含めて「日本語社会」は構成されていると認識せねばならない。

さて、このあたりまで書いて「いくらなんでも時期を逸したかな。掲載は諦めようか」と迷い始めていた。その時にニュースが飛び込んできた。日本出身の英国人作家、カズオ・イシグロさんのノーベル文学賞受賞だ。

またまた迂闊なことに、数日間も気づかなかった。考えてみれば、イシグロさんもマージナルという特徴を持つ存在ではないのか。イシグロさんについての報道を調べてみたが、彼は日本語については英国に渡った5歳の時でストップしていると述べた。日本語を学びなおそうとしたことは伝えられていないから、言語そのものについては、温さんほどには悩まなかったのかもしれない。

ただ、英国在住10年目の15歳の時に、父親が英国にずっと住むと決断したことは衝撃だったようだ。それまでは「日本にはいずれ帰る」と思っていたそうで、英国に10年間住んだ上で、日本には帰らないと決まったことが「結局、それが小説を書いたことに繋がりました」という。(週刊文春2001年11月8日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」)

イシグロさんの創作の背景に、日本に対する思いの比重が大きいことは、その他にも報じられている。だとすればやはり、自らの中に複数の文化が存在することが世の人々の心を動かす作品を生み出す力に結びついたということになる。どちらも創作者として活動している2人を安直に結びつけるのは失礼なのかもしれないが、作家としての原点に共通する部分があることは間違いないと思う。

温又柔という作家の存在で日本文学は新たな豊かさを獲得した。カズオ・イシグロの存在で英文学は新たな豊かさを獲得した。そしてクラシック音楽界はかつて、グスタフ・マーラーという作曲家の存在で新たな豊かさを獲得した。

考えてみれば、芸術分野だけではない。外から移り住む人は、その社会に「新たな豊かさ」をもたらしてくれる可能性を持っているはずだ。厳密に言えば、先住民族を圧倒的に上回る人口が外から到来した場合、先住民族の社会が壊滅的な影響を受けることは繰り返されていたが、少なくとも今の日本はそのような心配をする必要はないだろう。

もちろん、日本の外から来た人が日本社会に悪影響を与えることもある。ただ全体で見た場合、外からの人を受け入れることが得になるのか損になるのか。そのあたりはむしろ、日本社会の懐(ふところ)と知恵が試されることではないのか。

私自身は、外部からのさまざまな「流入」を積極的に受け入れることは日本社会の「得」になると考えている。日本社会は外からの「流入」を役立てる「懐」も「知恵」も有していると信じている。だから、温又柔さんの活躍は、私の主張を受け入れない人を説得するための、力強い論拠になると考えている。

■筆者プロフィール:如月隼人

日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。

■筆者プロフィール:如月隼人

1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。

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