<コラム>かつては独裁だった韓国、大統領が変わるとえげつない変化が訪れる

木口 政樹    2017年5月8日(月) 20時0分

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今回は忠清南道の南に続いている全羅北道と全羅南道を見てみよう。資料写真。

今回は忠清南道(チュンチョンナムド)の南に続いている全羅北道(チョルラブクド)と全羅南道(チョルラナムド)を見てみよう。1963年に大統領となった朴正熙(パク・チョンヒ)が連続5期にわたって大統領を歴任することで、彼の故郷である慶尚道(キョンサンド)が飛躍的に発展したのに対し、全羅道の方は沈滞に陥るという構図ができてしまうことになる。

朴正熙は慶尚道の亀尾(クミ)の出身であった。強力なカリスマでユギオ(朝鮮戦争)の後の荒廃した韓国を立て直しに取り掛かった。「セマウル運動」というプロジェクトが大きく功を奏し、その頃1人当たりの国民所得が9ドルとフィリピンなどよりも下にランクされていたのを、あれよあれよという間に世界15位にまで押し上げるのに成功する。

しかしあまりにも長く権力を握り過ぎたのだろう。部下の凶弾に倒れる頃は、韓国に独裁政権ありと世界中に知られるようになっていた。私もその当時はまだ日本にいて、韓国への関心はそれほど高くもなかったのに、「朴正熙の独裁は許せない」などと友人と話していたのを思い出す。今思えば愚かだったと思わざるを得ない。あの当時は、あれくらいの独裁は韓国にとっては必要な独裁、カリスマだったと今は思う。第一、朴正熙が許せない、などという前に、じゃ金日成(キム・イルソン)はどうなの?カダフィはどうなの?朴正熙の何倍も独裁がきつかったのではないか。

私が韓国に来たのが1988年だったが、この頃ソウルの江南(カンナム)バスターミナルへ行くと慶尚道の慶州(キョンジュ)や釜山(プサン)などへ行く京釜(キョンブ)線は、待合室も明るくて広くてきれいだったが、全羅道方面へ行く路線の湖南(ホナム)線は、規模も小さくどこにあるか分からないくらいのつくりになっていた。

これが98年、金大中(キム・デジュン)が大統領になった時に大きく変貌し、国際空港に行く路線と同じ場所にそれまでの数十倍ともいえる規模で造成されたのである。今や京釜線がみすぼらしい体たらくとなってしまった。実は京釜線は以前のままなのだが、湖南線があまりにも豪華で素晴らしいつくりになってしまったために相対的に完全に見劣りがするものとなったのである。

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