<コラム>20年前の韓国で相次いだ事件から想う、北朝鮮崩壊論は「閉店セール」に似ている

北岡 裕    2017年3月29日(水) 14時30分

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2月の金正男氏のクアラルンプールでの殺害事件から、20年前の韓国での出来事を思い出した。写真は北朝鮮。

2月の金正男氏のクアラルンプールでの殺害(北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国側は殺害された男性は、公民である金チョル氏との主張を崩していない)、相次ぐ飛翔体の発射に米韓合同軍事演習。核実験の兆候。トランプ大統領の発言とそれに応じる朝鮮中央テレビの報道も相まって朝鮮半島情勢は緊張の様相を見せている。

クアラルンプールでの殺害事件から、20年前の韓国での出来事を思い出した。97年2月、私はソウルの大学に短期留学していた。そこに突然飛び込んできたのが黄長[火華]氏の亡命のニュース。当時、朝鮮労働党書記であり金日成主席、金正日総書記の側近中の側近だった彼は脱北者の中で現在でも最高位の人物といえる。

続いて発生したのが韓国に亡命していた李韓永氏の殺害。李氏は金正男氏の従兄にあたる。この事件を境にソウルの風景が一変した。警官の数が急増し、地下鉄の駅には私服姿の目つきの鋭い男たちが幾人も立った。

私は日本大使館に非常時の脱出ルートを問い合わせ、ソウル市内のいくつかの新聞社やテレビ局を訪ね情報を集めて回った。さらにこんなニュースも入って来た。

2月21日崔光人民武力部長死去

2月27日金光鎮人民武力部第一副部長死去

亡命、殺害、朝鮮人民軍首脳の相次ぐ死去。恩師と「日本に早く帰りたい」と話していたことを思い出す。さらに金正日総書記の体制は始まったばかりで、厳しい経済難の話も伝わって来た。90年代後半は「苦難の行軍」時代と呼ばれ多くの餓死者も出たとされる時期。在日朝鮮人の方も、現地で会う案内員もこの時期のことについては「あの時期は本当に苦しかった」と認める。

率直に言ってその時、北朝鮮の体制が今日まで続くとは思っていなかった。数年のうちに体制は崩壊するであろうと見ていた。だが今も体制は続いている。世紀を超え、金正日総書記が死去しても、厳しい経済制裁を敷かれても、大使館員が亡命しても、政府高官や軍高官の粛清が噂されてもだ。

突飛な例えかも知れないが、北朝鮮早期崩壊論は「閉店セール」に似ている。もちろん戦争やクーデターなどへの備えも万全を期す必要があるが、同時に交渉交流を行う努力、北朝鮮に対しての観測気球を上げ続ける努力も必要だ。「明日には閉店するから、相手にしてもしょうがない」とすべてを遮断するのはおかしい。

20年前の冬に相次いだ事件の記憶。決定的な衝突が回避されたあとにも、備える必要があるのではないか。

■筆者プロフィール:北岡裕

76年生まれ。東京在住。過去5回の訪朝経験を持つ。主な著作に「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」。コラムを多数執筆しており、朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」では異例の日本人の連載で話題を呼ぶ。講演や大学での特別講師、トークライブの経験も。

■筆者プロフィール:北岡 裕

1976年生まれ、現在東京在住。韓国留学後、2004、10、13、15、16年と訪朝。一般財団法人霞山会HPと広報誌「Think Asia」、週刊誌週刊金曜日、SPA!などにコラムを多数執筆。朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」でコラム「Strangers in Pyongyang」を連載。異例の日本人の連載は在日朝鮮人社会でも笑いと話題を呼ぶ。一般社団法人「内外情勢調査会」での講演や大学での特別講師、トークライブの経験も。過去5回の訪朝経験と北朝鮮音楽への関心を軸に、現地の人との会話や笑えるエピソードを中心に今までとは違う北朝鮮像を伝えることに日々奮闘している。著書に「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店・共著)。

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