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日本のバブル経済の発生と崩壊から学ぶ―中国メディア

配信日時:2020年1月14日(火) 10時50分
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13日、大連日報は、吉林大学東北亜研究院副院長で吉林大学日本研究所所長の龐徳良氏による日本のバブル経済発生と崩壊について分析する記事を掲載した。写真は東京大仏。

2020年1月13日、大連日報は、吉林大学東北亜研究院副院長で吉林大学日本研究所所長の龐徳良(パン・ダーリアン)氏による日本のバブル経済発生と崩壊について分析する記事を掲載した。

龐氏は、「厳密にいえば、バブル経済時代とは前世紀80年代中後期」と紹介。「1987年から90年の国内総生産(GDP)の成長率は5~6%で、株価は日本企業の市場総額が米国企業の1.5倍となり、世界の45%を占めたので、日本は当時誇りに感じていた」と伝えた。

日本経済がバブル化したのには三つの要因があると分析。その一つが、「政府主導の内需刺激型政策」。これには、まず80年代中期の日本は対外貿易で強気であったために米国との貿易摩擦が起きたこと、次いで日本は経常収支の不均衡を是正することを中長期的な目標としたこと、そして経済の大規模な黒字は主に輸出主導型の経済にあったため、内需主導に変換しようとしたと分析。内需拡大の主な手段が公共投資だったと指摘した。そして、この内需主導への転換はいまだに成功していないとしている。

二つ目は「円高」。戦後1ドル360円の固定レートだったことは貿易立国の日本にとって非常に有利だったが、85年のプラザ合意以降、円高になったと紹介。これは米国の巨額な貿易赤字解消のためだったが、円の価値が上がったために土地を買えるようになり、富が増え、資産価格は上昇し、消費も増えて経済が盛り上がったと論じた。

三つ目は「日本銀行による金融緩和政策」。80年8月の公定歩合が9%だったのが83年には5%に下がり、87年2月には戦後最低レベルの2.5%になったと紹介。その後長期にわたって2.5%が続き、マネーサプライの高い増加率により、資産価格が膨張したと分析した。

では、バブル経済はどのように崩壊したのだろうか。龐氏は、まず「株価」が関係していると分析。89年12月に当時の大蔵省証券局から「証券会社の営業姿勢の適正化および証券事故の未然防止について」の通達があり、その後、株価は最高値を付けてから急落し、下げ止まらなかったと指摘した。

また、「地価」も90年3月に当時の大蔵省銀行局から「土地関連融資の抑制について」の通達があったと紹介。不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑えることを要求しており、いわゆる「総量規制」を実行したため、不動産価格が下落したと論じた。

最後に龐氏は、経済学者の野口悠紀雄氏の言葉を引用し、「株価と地価は最終的にトランプで建てた建物のようにあっという間に崩壊した。これは株価と地価がそもそもトランプで建てたものだったからであり、株価と地価は永遠に上昇し続けるという超現実は消えた。日本は悲惨な遭遇が作り上げた廃墟に立っており、ようやく悪夢から覚めた」と結んだ。(翻訳・編集/山中)

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