<コラム>今の日本人が欠落していること、儒学から見る天下の治め方

海野恵一    2018年10月29日(月) 9時40分

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昔の中国人は、人間関係の基本は「大学」の「修身斉家治国平天下」だと言った。「修身斉家治国平天下」に対して、私の考えを今回は述べていきたい。資料写真。

昔の中国人は、人間関係の基本は「大学」の「修身斉家治国平天下」だと言った。この意味は次のとおりだ。「天下を平らか(たいらか)に治めるには、まず自分のおこないを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国を治めて次に天下を平らかにするような順序に従うべきである」。すなわち、身を修め、家を斉える(ととのえる)ことができれば国が治まると言った。この「大学」は紀元前5世紀頃に書かれた本だから、当時は竹に書かれていた。だから、詳しい解説はない。

それではこの「修身斉家治国平天下」に対して、私の考えを今回は述べていきたい。「自分のおこないを正しくする」ということはどういうことだろうか。「仁義礼智信」の「義」が「正しい行い」を意味するが、ここではそうではない。自分の行いを正しくすると言う言葉通りの解釈がこの「修身」を意味しているのではないように思う。

その理由は次に来る「家庭をととのえ」と言う言葉があるからだ。「家庭をととのえる」ということはどういうことだろうか。私はこの言葉は取りも直さず、妻の理解を得るということだと思う。ここで言う「斉家」とは家庭のことを言っているのだが、その中心は妻である。その妻からどのようにして信頼されるかである。

日々生活をしていて、最も身近な存在がこの妻である。昔の人はこの妻から信頼されれば国が治まると言ったのである。実はこの妻が曲者である。女だからだ。孔子は女のことを次のように言っている。

子曰く、唯(ただ)女子と小人とは養い難しと為す。これを近づくれば則(すなわ)ち不孫(ふそん)なり。これを遠ざくれば則ち怨む(陽貨第十七の二十五)。意味は以下のとおり。

孔子がおっしゃいました。女と取るに足らぬ男は扱いにくい。親切にすれば調子に乗るし、親切にしなければ恨まれる。

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