南京大虐殺の真相究明のために闘う日本人女性―中国メディア

人民網日本語版    2016年9月22日(木) 22時10分

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「満州事変」から15日で丸85年を迎えるに当たり、日本の女性作家で、南京大虐殺を研究する松岡環さんは、中国の東北地方を訪問。大連市で「歴史を正視する」と題した講演会を行った。

「九一八事変(満州事変)」から15日で丸85年を迎えるに当たり、日本の女性作家で、南京大虐殺を研究する松岡環(たまき)さん(69)は、中国の東北地方を訪問。大連市で「歴史を正視する」と題した講演会を行った。講演会は、現地メディアが騒ぐこともなく、落ち着いた雰囲気の中で行われた。新華社が伝えた。

松岡さんは日本の右翼からの妨害を受けているため、近年は多くを語らず、慎重に行動している。しかし、「実際の経験者の多くが亡くなっている」ため、「行動が一番貴重」とばかりに、日本の中国侵略戦争の加害者と被害者の証言を急いで集めている。

8月6日、松岡さんは北京で、著書「南京 引き裂かれた記憶」の中国語版の版権調印式に出席した。同書は今年初めに、カナダで英語版が刊行され、西洋で熱い論議を巻き起こした。

日本国内で、松岡さんが最もよく受ける非難の言葉が「それでも日本人か!」で、右翼の人々からは「中国人から金をもらっている」とののしられている。取材に応えた彼女はほほ笑みながら、遠目で、「心配ばかりするなら、何もしない方がいい」と話した。

松岡さんは小柄であるものの、彼女の本を読むと、心がとても強い女性だと分かる。残酷な歴史をリアルに記録するため、彼女は「裏切り行為」と見られることも気にせず、30年近く戦ってきた。

1947年に、大阪で生まれた松岡さんは、典型的な戦後のベビーブームの世代。戦争に参加した家族もいる。例えば、父親は44年末に徴兵され、海軍として朝鮮半島に送られた。また、母方のおじも中国へ行った。そんな彼女が戦争について初めて知ったのは、5歳の時におじの写真を見た時だ。その写真には軍服を着て、戦闘用のナイフを持ち、意気揚々とするおじが映っていた。

戦争に負けた日本人は複雑な気持ちに襲われた。街は戦争の傷に満ち、人々は国を富ませ栄えさせようと躍起になっていたものの、悲劇でしかなかった戦争について、元兵士たちの多くは口をつぐみ、家族も「恥」と感じて、言及することはなかった。

そして、日本政府も国民に戦争の真相を説明してこなかった。「子供の頃から大人になるまで、戦争というと『連合国に負けた』としか教えられず、中国を侵略したことには触れられなかった」と松岡さん。

臭い物に蓋をされたため、戦後に成長した世代の日本人は、侵略された国の人々の憤りを全く理解できないという状況が起きてしまった。松岡さんもそのような環境で育ち、関西大学文学部に入学して東洋の歴史を学んだ時に、初めて日本が中国を侵略したことを知った。そしてその時に、戦争の真相に対する疑問や好奇心が、松岡さんの心に生まれた。

松岡さんは結婚してから10年間専業主婦をした後に、地元大阪の小学校の教師になった。80年代半ば、松岡さんが担任を務めていたクラスにはたくさんの中国人の生徒がいた。そして、歴史を教えていた時、教科書では南京大虐殺のことが「南京事件」と記され、「南京でたくさんの人が死んだ」と簡単に説明されているだけであることに気付いた。歴史を専門としている彼女は良心が働き、中国人の生徒の純粋な目を直視することができなかったという。

「真相をはっきりさせ、子供たちに、『間違ったことをすれば、それを認め、改善する勇気が必要』ということを分からせる責任がある」と考えた松岡さんは88年、南京に足を運んだ。

南京で、松岡さんは大虐殺の生存者・李秀英さんに出会った。大虐殺が起きた時、李さんは妊娠していたにもかかわらず、日本兵に強姦され、37カ所も刺された。そして、南京鼓楼病院に運ばれ、治療を受けている時に、ある牧師が撮影した写真が南京大虐殺の動かぬ証拠となっている。

松岡さんは、「戦争は日本の軍国主義が起こしたもので、日本の一般庶民や兵士とは関係がない」と話す李さんの寛容さに愕然としたという。また、南京大虐殺記念館で、これまでの理解とは全く異なる戦争を目にし、心に大きな衝撃を受けた。

松岡さんは中国と日本で南京大虐殺を実際に経験した人を探し、真実をあぶり出そうと決意し、これまでに中国を90回以上訪問。南京大虐殺の被害者300人以上、加害者250人を訪ね、証言を詳しく記録した。

97年10月、被害者だけの証言では不十分と感じ、「日本人を説得するためには、被害者と加害者の証言、両方を合わせなければならない」と考えた松岡さんは日本の6都市に3日連続で、「南京大虐殺情報ホットライン」を開設した。

ホットラインを通して、松岡さんは元兵士13人の情報を得ることができた。しかし、会うことは何度も拒否され、手土産を持っていったり、戦争の苦しさを皮切りに質問するなどして、大阪や京都にいる元兵士の誇りにさえ感じていたり、軽視したり、忘れかけていたりする戦争の記憶を少しずつ記録していった。

「見つけた日本の元兵士250人のうち、戦争を反省していたのは4人もいなかった。そのうち、最も深く反省していたのは故・松村芳治さんだった」。

松岡さんが忘れることができないのは、長年、「自分も殺人をしてしまった」と率直に語っていた松村さんが、亡くなる寸前になって初めて、「自分も中国人の女性を強姦した」と吐露したことだという。短い言葉だったにもかかわらず、良心の呵責に襲われた松村さんはそれ以上のことを語ることはできなかった。

李さんは松岡さんに、「今でも日本人を見ると気分が悪くなる」と率直に語った。「これが多くの中国人の日本人に対する本当の見方」と感じている松岡さんは、自分を信頼してくれる被害者を本当に大切にしている。そして、中国語も学び、今では簡単な会話ができるようになっている。

多くの戦争被害者が少しずつ松岡さんのことを、「日本人の友人」と見なすようになってくれ、亡くなる前に、彼女のことを思い出してくれる人もいるという。松岡さんにとって最も印象深かったのは、張秀玉さん(88)が亡くなる1カ月前、手を握りながら、「絶対に日本人に真相を伝えて」と頼まれたことだ。

近年、松岡さんが中国を訪問する回数は、1年に3回から6回に増え、調査の成果も大きくなるばかりだ。これまで、「南京 引き裂かれた記憶」「南京の松村伍長―閉ざされた記憶を尋ねて―」など、ドキュメンタリー3作を製作し、日本語、中国語、英語の書籍や写真集6冊を刊行してきた。来年に刊行される予定の中国語版の「南京 引き裂かれた記憶」には、英語版の22人より16人も多い38人の証言だけでなく、一層多くの写真が収められている。

松岡さんは、「私のしている事業は、歴史をはっきりさせるためだけでなく、残酷な戦争を二度と起こさないため。中国だけでなく、日本のためでもあり、両国の次の世代のため」と語る。(提供/人民網日本語版・編集KN)

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