台湾では「亡命者」?世銀主任エコノミスト内定の林氏、激動の半生

Record China    2008年1月23日(水) 18時1分

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1月23日、香港紙『大公報』は、このほど世界銀行主任エコノミストに内定した北京大中国経済研究センター主任、林毅夫(リン・イーフー)氏の激動の半生を紹介した。写真は林氏。

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2008年1月23日、香港紙『大公報』は、このほど世界銀行主任エコノミストに内定した北京大中国経済研究センター主任、林毅夫(リン・イーフー)氏の激動の半生を紹介した。

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今年55歳の林氏は、台湾国民党金門島沿岸警備隊の中隊長として任務に就いていた1979年5月16日晩、バスケットボールを両手に抱えて海に飛び込み、およそ2km先の中国大陸・アモイまで泳いで渡った。軍法に照らせば「敵前逃亡」にあたるが、台湾側はこれを「行方不明」として処理。当時、林氏亡命の事実は公にされなかった。だが残された新婚の妻、陳雲英(チェン・ユンイン)女史だけは、「夫は大陸に渡った」と直感したという。

その後、中国政府に厚遇された林氏は、北京大経済学修士課程を経て米シカゴ大学ノーベル経済学賞受賞者のセオドア・シュルツ教授に師事。86年、夫が米国にいると知った陳女史も渡米し、7年ぶりの夫婦再会を果たした。

中国に戻った林氏は北京大に中国経済研究センターを開設。氏の提唱した「社会主義新農村の建設」などの理論は、中国政府の重要経済政策に取り入れられた。06年英ケンブリッジ大のマーシャル経済学講座から、07年―08年度の講演依頼を受ける。同じ頃、妻の陳女史は第10期全人代台湾代表に選出された。

02年、林氏の父親が台湾で亡くなり、葬儀のため台湾行きを希望したが、台湾当局は「敵前逃亡罪」を理由にこれを拒否。妻の陳女史だけが参列した。(翻訳・編集/NN)

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