<コラム>G20出席のため訪中したオバマ大統領に杭州空港で暴言、にじみ出てしまった「中国意識」

如月隼人    2016年9月5日(月) 9時40分

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オバマ米大統領の一行に対して、中国側の空港係官が「ここはわれわれの国だ」などと怒鳴ったことに、中国人の「大国意識」のあらわれとの見方も出たが、編者はそうでないと考える。そのことを説明したい。写真は杭州に到着したオバマ大統領の専用機。

AFP通信などによると、G20出席のため中国・杭州に到着したオバマ米大統領の一行に対して、中国側の空港係官が「ここはわれわれの国だ」などと、怒鳴り声をあげたとのこと。中国人の「大国意識」のあらわれとの見方も出たが、編者はそうでないと考える。そのことを説明したい。

オバマ大統領が外遊する際、同行する記者団は大統領専用機のエアフォース・ワンの翼の下で、タラップを降りてくる大統領を見守ることが慣例になっているという。しかし杭州空港では、中国側が設置した青いロープの後ろに追いやられた。

中国側はさらに、報道陣を退去させるよう要求した。米側職員が、エアフォース・ワンは米国機で、米国の大統領が乗っていると言うと、濃い色のスーツを着た中国側職員の1人が「ここはわれわれの国だ」、「ここはわれわれの空港だ」などと怒鳴ったという。同事態は、現場における中国側職員と米国のスーザン・ライス大統領補佐官の口論にまで発展した。

同件は日本でも報道された。茂木健一郎氏はツイッターで「こういう『大国意識』はいかがなものかと思います」と論評した。確かに。「なんと無礼なことか」と顔をしかめた日本人は多いだろう。

ただ編者は、同件を理解するには、まずは中国人の「ルール」意識を理解する必要があるし、まして「大国意識のあらわれ」と解釈すべきではないと考える。以下、そのことを論じる。

まず、「中国人のルール意識」についてだが、「ルールというものは守らねばならない」との考えは、日本人に比べれば相当に希薄と言わざるをえない。ルールというのは、一定の立場にある者が自らの都合で定めたものだとの意識が強い。したがって、「ルールを守ることが善。破ることは悪」との意識は弱くなりがちだ。

そして、その場その場で「このルールは守った方がよいかどうか」を考えることになる。誤解のないように付け加えるが、中国人のこのような「ルール意識」が、絶対によくないとまで主張するつもりはない。

中国人と対照的に、ルール順守は美徳との意識が強固であるのが日本人だ。日本社会はそのおかげで秩序正しく運営され、日常生活も気持ちよくすごしやすいとの長所がある。しかしその反面、なんのために設けられたか分からないルールも多くなり、そのルールの存在自体が社会にとって本当に役に立っているかどうか疑問がある場合でも「ルールなのだから守らねばならない」との意識が先行しがちという問題も抱えることになってしまったのではないか。

話が脱線してしまったが、中国人にとって「ルール」とは決して、絶対的な行動規範でないことをご理解願いたい。ところが、その中国人が「ルールの順守」を強調する場合も意外に多い。このようなケースは、ルール順守を「大義名分」にすればその場を上手に処理できると、当事者が判断した場合に多く見られる。

オバマ大統領の訪中に際して、中国側が「安全確保」を最重要課題の1つにしたことは間違いない。そのこと自体は受入国としての責務の遂行であるから、非難する点はまったくない。そこで推察できることは、オバマ大統領一行の受け入れに際して、「細かいルール」が大量に定められ、現場担当者がルール順守を厳しく求められたとの状況だ。

このような場面で中国側担当者が、「定められルールを完璧に守ることができねば、あるいはすべての者に守らせねば、自分の責任になる」と考え、“職務に厳格かつ忠実に励む”ことを決意したことは、容易に想像できる。

しかも、ルール策定に当たっては、米国側の慣例の研究が不十分であったため、「とにかく、大統領本人以外は、この線から出てはいけない」というルールが作られ、中国側担当者が妥協なく守ろうとしたという構図だ。

中国人社会にある程度以上接した経験のある人ならば、「普段はルールに対してかなり無頓着なのに、特定の状況ではルールを頑なに墨守しようと主張する中国人の性癖」については、思い当たるところがあるはずだ。

細かく分析したいことはまだずいぶん多いのだが、次に考えてみたいのは、中国側担当者が語ったとされる「ここはわれわれの国だ」、「ここはわれわれの空港だ」との発言だ。

外国からの賓客、しかも自国として何が何でも成功させたいG20で重要な役割を担う米大統領一行に対する発言として、極めて不適切と言うしかない。このような発言が飛び出した背景には、編者が前から指摘してきた、中国人の発想にしばしば見られる「戦闘モードへのスイッチ切り替え」があると思われる。

つまり、自分のその場その場での言動の基準が、「何が正しく、何が正しくないか」、「何が理屈に合い、何が合わないか」よりも、「相手に勝利する」という目的のために、突然切り替わってしまう現象だ。ただここでは、中国人の考え方の「モード切替」現象ではなく、「ここはわれわれの国だ」といった発言内容について考えてみたい。

切羽詰まった状況で出た発言であるからには、発言者の日ごろの「内心」が反映されていたと理解してよいだろう。中国人にとって米国は(実は日本も近いのだが)、感情面で複雑な対象だ。自国については、相当に自信がついてきた。「われわれは、もはや弱小国ではない」との自負心がある。相手の言動に唯々諾々と従う必要はないと考える。

しかしその一方で、自らの国は相手の真の実力にはとうてい及ばないということも、しっかりと自覚している。つまり、相手が「真の大国」と思わざるをえない場合には「われわれの立場は、そこまで強固でない」と見極める冷静さを持ち合わせている。

「ここはわれわれの国だ」発言が飛び出た背景には、世界における自らの立場を考えるにつれ、しみじみ感じる「やるせなさ」があると考えてよい。

中国人の意識には「みずからはもはや、弱小国ではない」という自負心がある。その反面で「わが国はまだ、世界の大国とはいいがたい」との認識もある。自国は「大国」でもなく「小国」でもない。そういった、自国についてのまさに“中国意識”が、「ここはわれわれの国だ」との発言に結びついたと理解できる。(9月5日寄稿)

■筆者プロフィール:如月隼人

日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。

■筆者プロフィール:如月隼人

1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。

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