声帯を失った「アジア史上最高のテノール」、日韓の絆が生んだ「奇跡」の復活=主人公が会見「二つの声が一つになった」―皇后さまからお言葉

八牧浩行    2016年8月3日(水) 6時50分

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世界を魅了した韓国人オペラ歌手ベー・チェチョル氏。ところが、2005年に喉に甲状腺がんを患い、手術によって声帯の神経の一部を切断し、歌声を失う。絶望のどん底に突き落とされたベー氏を支えたのは2人の日本人だった。写真はベー氏。

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「アジア史上最高のテノール」と言われ、ヨーロッパを中心に世界を魅了した韓国人オペラ歌手、ベー・チェチョル氏。ところが、2005年に喉に甲状腺がんを患い、手術によって声帯の神経の一部を切断し、歌声を失う。絶望のどん底に突き落とされたベー氏を支えたのは、日本人プロデューサー輪島東太郎氏だった。ベー氏は日本人医師(京都大名誉教授)、一色信彦氏から世界でも初めてという声帯機能回復手術を受け、歌声を回復。長く、苦しいリハビリと発声練習を経て、テノール歌手として再び日本人のファンが待ち望む復活の舞台に立った。

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「奇跡の復活」と呼ばれる彼の歌声は、各地で聴衆に深い感動を与え続け、その歌声は、日本と韓国の絆の象徴でもある。この実話をもとに制作された日韓共同製作映画「ザ・テノール=真実の物語」は大きな評判を呼んだ。ベー氏がこのほど来日、7月31日に都内でリサイタルを開き、皇后さまが鑑賞された。これを機に、同氏と輪島氏、一色氏の3氏が8月1日、日本記者クラブで会見し、次のように語った。

<オペラ歌手、ベー・チェチョル氏> 

私は歌うためにこの世に命をいただいた。少年時代、韓国で人気番組だったのど自慢大会に参加し、2回受賞した。その時の審査員から「君はいい声をしており、しかも味わい深い。オペラ歌手になれる」と言われたが、オペラ歌手というのはどのような職業なのかさっぱり分からないほどだった。

振り返ると、神様がすべての道をつくりあげてくれたと感謝している。韓国の大学を卒業した後、イタリアに留学し約11年も勉強した。オペラが生まれたイタリアでの生活は素晴らしい経験だった。

私の家は経済的に恵まれていなかったが、両親は自分たちを犠牲にして海外に留学させてくれた。頑張らなければいけないと思った。コンクールにもたくさん出たが、いつも優勝することを目標にした。

だがある日、声が出なくなり、私の歌手としての命は完全に失われた。私の人生にとって肉体と歌は表裏一体だったのでショックだった。

ところが神様は、第2の声を与え、その声は人々のために使いなさいと言ってくれる。歌うときいつも神様のことを考える。そして再出発に導いてくれた2人の恩人、輪島さんと一色先生のことを思う。

輪島さんとは出会ってから13年。最初にいい声をしていると言われた。その3年後に私は声を失った。歌手と音楽事務所(プロデューサー)との関係は、仕事がなくなった時点で終わるのに、輪島さんは私を見捨てなかった。歌手としての人生が必ず来ると言い、ともに歩いていこうと励ましてくれた。

私は歌手として復活できるとは考えられなかった。彼との出会いがなければ今日の私はなかった。不思議なご縁を与えられたからこそ、日本を何回も訪れ多くの方々に聴いてもらえるようになった。

顔だけ見れば韓国人も日本人も同じに見えるが、韓国人の心の中は非常に熱くて情熱的。日本人は静かで、不思議なことに日本に来ると非常に居心地がいい。

父は大阪で生まれている。戦前に祖父が大阪で商売し、私の家族の日本との関わりが始まっていた。

オペラ歌手の手術は初めての経験だったのに、一色先生は京都で「私ができる最良のことをする」と約束してくれ、私の心に最高の平安が訪れた。今しゃべっている声はメイド・イン・ジャパンの声。楽器はメイド・イン・コリアだ。二つの声が一つになった。

私が経験したように、韓国と日本もそのようになることを願っている。どれほど素晴らしいことか。両国にはいいところも悪いところもあるが、相手の優れたところをお互いに見つめ合っていきたいと思う。私の夢であり目標だ。

<音楽プロデューサー、輪島東太郎氏>

私は長く音楽の仕事をしているが、ベーさんの歌声を初めて聴いた時、世界でも最高のテノールだと思った。映画「ザ・テノール=真実の物語」は99%実話である。

ベーさんが声帯を失ったと聞いた瞬間、彼の歌声を2度と聞くことはできないのではと、空から隕石が落ちてきたような衝撃を受けた。彼は一緒に悩み抜いた末、病気になってよかったと言ってくれた。その時に、再び舞台に立たせようと決意した。

ベーさんは以前よりも素晴らしい歌手になった。昨日(7月31日)のリサイタルに来られた皇后陛下が、「日本に何度でも来てください」とおっしゃった。彼の復活後の声は、以前に比べ数値データ的には高さや大きさが劣るが、耳に聴こえない美しさや味わいがある。

聴衆が受ける感動は以前より増している。日本と韓国の超えられない何かを埋めることができた。友情のデュエットとして、日本と韓国の絆の道を開いてくれると思う。

一色先生は声帯分野で世界で最高の賞を受賞している最高権威だが、世界で初めてのオペラ歌手の声再生という、困難な手術に挑戦。患者を見捨てるようなことをしなかった。

<一色信彦京大名誉教授>

人生とは予測のつかないもの。子どものときは医者になる人生は考えていなかった。声帯医学の道に進んだが、役に立ってよかった。(八牧浩行

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務めたほか、欧州、米国、アフリカ、中東、アジア諸国を取材。英国・サッチャー首相、中国・李鵬首相をはじめ多くの首脳と会見。東京都日中友好協会特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著・共著に「中国危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外国為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

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