日本企業の部長さんの心配りに感銘、「日本人は本心から付き合うことのできる友人」というイメージが焼き付いた―中国人学生

日本僑報社    2016年7月30日(土) 7時50分

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中国では改革開放初期の日本のさまざまな貢献が高く評価されているが、実際に日本人や日本企業と接した人々はどのような感情を抱いていたのか。資料写真。

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中国では改革開放初期の日本のさまざまな貢献が高く評価されているが、実際に日本人や日本企業と接した人々はどのような感情を抱いていたのか。嘉興学院の呉ベイ玉さんは、母親が日本企業で働くようになったことや、自身が日本企業を見学した時の心情を作文につづっている。

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5、6歳の頃、幼稚園に入園してまもなく、いつも面倒を見てくれていた母親は急に迎えに来なくなった。私はとても心細くて、同じ村の友達と手をしっかりつないで、帰り道を急いだ。私は家に帰るやいなや、「お母さん、お母さん」と喚きながら、あちこち探した。でも、お母さんはどこにもいなかった。夜、お母さんの自転車のべルが鳴ると、私はすぐに立ち上がって「お母さん、お母さん」と叫びながら母の胸に飛びついた。「お母さん、どうして外で仕事をするの?」「最近町に日本企業ができたでしょ。お母さんも家のために頑張るわ」。その後、私は昼間、めったに母と会えなくなった。

私の母だけでなく、隣のおばさんもその隣のおばさんもクラスメートのお母さんもみんな日本企業で働くようになった。工場の仕事は女性の働き口として、町に広まっていった。田舎の女性たちは、農作業と家での家事から、服飾工場で働くという仕事へ変わっていった。日本企業はこのように、村や小さい町に散らばっていた労働力を集め、中国の農村を大いに発展させ、欠くことのできない存在となったと言える。

私は嘉興の田舎の出身だから、幼い頃から日本企業と接する機会はあまりなかった。でも、中学生の頃、夏休みのイベントで、ある大手日系企業へ見学に行ったことがある。その立派な正門に入った時,初めに日本の日の丸の旗を見た。遠くで日の丸旗が風に吹かれ、ひらひらとしていて、その姿が深く印象に残った。日の丸のすぐ横に中国の赤旗もふわふわと風に翻って、仲が良さそうに見えた。

会社の人事部の部長さんは親切に私たちを接待してくださった。部長さんはずっとにこにこと私たちを連れて、会社の各部署を巡り、周りの景色と企業の営業状態を説明しながら、「気をつけてください」「はぐれないようにしてください」「のどが渇いていますか?疲れていませんか?」と、私たちのことを心配してくれた。実に優しくて、情の深い部長さんだった。この時、私たちの心の中には、日本人は本心から付き合うことのできる友人だというイメージが焼き付けられた。

お母さんは今も働き続けている。いま私は日本語を大学の専門として勉強している。多分私は日本と縁があったのだろう。中国の改革開放政策で、順調に経済が進むことができたのは、日本企業によるところが多い。もし日本企業がなければ、中国がこのように一歩一歩前向きに進むことも、中国の庶民の生活が豊かになったことも実現しなかったかもしれない。日本企業のお陰か、私の家もだんだん豊かになり、隣もその隣の家も、生活は日々豊かになりつつある。(編集/北田

※本文は、第五回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国への日本人の貢献」(段躍中編、日本僑報社、2009年)より、呉ベイ玉さん(嘉興学院)の作品「日本企業に働きに行ったお母さん」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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