間もなく水没していく「大昌古城(ダーチャングーチョン)」と「人生ドラマ」

Record China    2006年7月7日(金) 13時49分

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2006年10月、三峡ダム第三期蓄水工程が行われると、大昌古城は水の中に沈んでしまう。

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湖北省(こほくしょう)秭帰(ツーグイ)から長江を上って3時間ほど経つと、巫山県(ウーサンセン)に到着する。そこからさらに船に乗り換え、長江の支流である大寧河(ダーニンハー)を遡って小三峡(シャオサンシャー)を経て行くと、1700年の歴史を誇る「大昌古城」に辿り着く。しかし、現在見ることのできる「大昌古城」には、もはや昔の面影は跡形もなく消え去ってしまっている。歴史的価値があるとされる古い屋敷群は、そのまま大寧河下流から8km先の西包嶺(シーパオリン)に移築されている。現在、三峡ダムの建設も完成間近であるが、今年10月の第三期蓄水工程が終わると、水位がさらに156mも上昇し、「大昌古城」は、永遠に河の下に沈み去ってしまうのだ。

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「大昌古城」はかつて、古代陝西(せんせい)、湖南(こなん)、四川(しせん)からの商売人たちが必ず立ち寄るとされた街で、三峡沿岸で唯一“江南風”に建設された街という。古城の南側には、かつて石の長い階段が大寧河まで続いていたが、すでに水位の上昇で、階段の多数が河に沈んでしまっている。ここにあった南門はすでに移転され、残された石の獅子像二座が寂しく居座っているのみだ。

間もなく移転が開始される最後の古建築である温氏宅で、住民の付さんが、大昌古城の古き、良き、栄光と輝きの時代を、しみじみと語っている。この温氏宅は、清朝初期に建てられた「大昌古城」でも最も規模が大きく、保存状態もよい民家で、大昌古城の縮小版とされているが、政府当局と移転についての話し合いがうまく進んでいないため、依然としてこの場所にそのまま残されているという。しかし、結局はこの地を去らざるを得ない運命にあるため、付さんは、一族がこの地に12代も暮らしてきたことを思い出すと、涙が止まらないという。かつて大昌古城で暮らした1.5万人もの住民たちは、現在は2つの地域で新しい生活を始めている。ここから6km離れた新大昌鎮(シンダーチャンチェン)に移住した人々と、祖先の出身地である安徽(あんき)、広東(かんとん)に移住した人々である。このように、文明の利器の代表的なものである「ダム」が、幾世代にも渡って営々、脈々と暮らし継がれてきた「村」 を、「街」を、一挙に呑み込んでしまう。郷里そのものを失ってしまう人々の気持ちを思いやる時、その感慨も一入である。

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