「抗日戦争期の朝鮮人についてどう思いますか?」、中国でネットアンケート=約6割が選んだ回答は?

Record China    2015年8月8日(土) 7時32分

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6日、網易新聞は「抗日戦争期、朝鮮人は中国で何をしていたのか?」と題する記事を掲載し、ネットユーザーにアンケートを行った。写真は上海の抗日戦争記念館。

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2015年8月6日、網易新聞は「抗日戦争期、朝鮮人は中国で何をしていたのか?」と題する記事を掲載し、ネットユーザーにアンケートを行った。

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1910年に日韓併合条約が締結された後、朝鮮半島は日本の領土となり、朝鮮人は日本の二等公民となった。この期間、中国の抗日戦争において朝鮮人は複雑な立場にいた。日本軍に加担する者もいれば、仕方なく移民する者、日本に立ち向かう者などだ。

中国東北部では北朝鮮人、韓国人に対する蔑称として「二鬼子(※「鬼子」は日本人の蔑称)」という言葉が使われている。1938年に陸軍特別志願兵制度、1943年に海軍特別志願兵制度が導入され、朝鮮人の志願兵が入隊した。人数については諸説あるが、1938〜43年に2万人近い朝鮮人が戦闘に加わったとみられている。その他、数十万の朝鮮人が日本人に徴用され、物資運搬や遺体の回収、施設建設、中国の監視などにあたっていたとされている。その中には、韓国の第3代大統領・朴正煕(パク・チョンヒ)もいた。

軍属となる者のほか、日本によって中国東北部に入植される朝鮮人もいた。1908年に延辺一帯にいた朝鮮族は9100人だったが、1930年には60万人に膨れ上がった。彼らと現地人との関係は決して良くはなく、たびたび衝突が発生。これが、満州事変につながる万宝山事件のきっかけとなった。新中国の成立後には一部は朝鮮に戻り、一部は中国籍を取得した。このほか、中国に逃れて抗日事業に従事した朝鮮人もいた。1942年にできた朝鮮義勇軍は八路軍とともに抗日戦線を張り、戦争終結後には一部が国共内戦でも活躍した。

こうした抗日戦争における朝鮮人について、網易はネットアンケートを行った。最も多かった回答は「悪の手先となった二鬼子」で57%。次いで「知らないし興味がない」が22%、「苦しんだ難民」が12%となり、「肩を並べて戦った抗日戦士」は4%という結果だった。(翻訳・編集/北田

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