50年前の中国人男性ペンパルを探す日本人女性―中国紙

Record China    2015年3月28日(土) 14時46分

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24日、長年日本に住む張志宏さんは中国語を教えている。受け持っているクラスの生徒はみな、彼女のことを「張先生」と呼ぶ。佐藤さんも、その生徒の1人だ。

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2015年3月24日、長年日本に住む張志宏(ジャン・ジーホン)さんは、中国語を教えている。受け持っているクラスの生徒はみな、彼女のことを「張先生」と呼ぶ。佐藤さんも、その生徒の1人だ。張先生は、「佐藤さんはとても人当りが良く、非常にまじめに中国語学習に取り組んでいる。彼女は50数年前、長春のペンフレンド(ペンパル)と文通をしていたが、いくつかの理由で連絡が途絶えてしまったという。私は、佐藤さんがこのペンパルを探し出し、夢を叶えるお手伝いがしたい」と話している。新文化報が伝えた。

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▼75歳女性のスピーチにクラスの全員が感動

佐藤さんは今年75歳。横浜市職員を務めた後、今は定年退職して家にいる。張先生は最初、佐藤さんと中国との関係、自分の故郷との関係について知らなかった。「佐藤さんは旧姓小倉さんといい、独身時代に長春に住むペンパルとの文通が始まった。佐藤さんは去年、私が担当する上級中国語クラスに入った。学生による作文発表会で、佐藤さんは、『私のペンパル』というテーマで作文を発表した」と趙先生は話した。

佐藤さんは、その作文で、中国人ペンパルとの交友歴を書いた。「彼女は当時17歳、長春のペンパル、李秉春(リー・ビンチュン)さんは22歳。2人は日中友好協会を通じてペンパルになった。1950年代の若者2人は、お互いを励まし合い、それぞれの理想を語り合い、愛情ではなく、最も誠実な友情でつながっていた。クラスにいた全員が彼女のスピーチに大変感動した。そして私は、彼女の願いを叶えるお手伝いをしようと決心した」と張先生は続けた。

▼ペンパルの手紙をきっかけに、長春訪問を夢見た佐藤さん

佐藤さんは記者にメールで、彼女と李さんの文通の経緯を教えてくれた。1957年に文通を始め、1960年代まで続いた。日本と中国でお互い遠く離れていても、さまざまな困難を乗り越え、連絡を保ち続けていた。「当時、私たちは若かった。両国の状況、それぞれの仕事、生活の様子など、語り合うべき話題がたくさんあった。私たちは思うままに、自由に胸の内を語りあった。李さんはいつも、とても小さな字で、便箋5枚から8枚の手紙を送ってくれた。彼はとても能弁で、才気高く、日本語が非常に上手く、自分の考えを表現する上で何の問題もなかった。また、とても美しい字を書いた。だから、私は彼が大変優秀な青年だと強く思った」と佐藤さんは当時を回想しながら述べた。

李さんの住所から、1957年当時、李さんは長春第一汽車工場(当時)96棟に住んでおり翌年1958年3月に95棟に移り、さらに1960年には102棟に引っ越したことが分かる。「佐藤さんが保管している30数通の手紙から、李さんが日本語翻訳の仕事をしていたことが分かった。また、ロシア語も勉強しており、ロシア語翻訳の経験もあったようだ」と張先生は語った。

2人は、お互いにやりとりした手紙の中で、自分の住む都市についても紹介した。李さんは、長春の通り、建物、四季の移り変わり、最も美しい季節や場所について、佐藤さんに教えた。佐藤さんは、そのような李さんからの手紙を読んで、長春が大好きになり、一度は訪れたいと強く願うようになった。「2人は、いつかきっと会おうと約束していた。その約束は、きっと叶えられる」と張先生は述べた。

▼過去にもトライした長春のペンパル探し

「李さんは、中国の雑誌や切手を私に贈ってくれたことがある。彼の友人も、私に年賀状を送ってくれた。私も彼に、日本の切手、小説、自分が手作りした布製の子犬などを贈った」。佐藤さんは、これらの細かいことを、今でもはっきりと覚えている。

1960年代、いくつかの出来事のために、彼らのやり取りが途絶えてしまった。だが、佐藤さんは、ずっと李さんのことを忘れなかった。「日本に住む中国人が増えるにともない、私は少しずつ中国語を覚え、中国人の友人も数人できた。でも、李さんは、私が最も心を許して話した友人のひとりだ。私は、何人かの中国人の友達に、李さんの消息を探して欲しいと頼んだが、結局分からなかった」と佐藤さん。

張先生は、長春に戻った後、佐藤さんのペンパル探しのために忙しい毎日を送った。「李さんがかつて働いていた職場にも連絡を取ってみたが、残念ながら何の手がかりも得られなかった」と張先生は話した。

時が経つにつれて、佐藤さんはますます、当時の純粋な友情を懐かしむ気持ちが強まり、何としても李さんを探し出し、彼といろいろな話をしたいと思った。「もし李さんがまだ健在ならば、長春でも他の場所でも、どこでも良いので彼に一目会いたい。もし、彼がもうこの世にいないのならば、長年大切に取っておいたこれらの手紙を、形見として彼の家族に渡したい」と佐藤さんは語った。(提供/人民網日本語版・翻訳/KM・編集/武藤)

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