奈良でぼう然の末に気づいた…、これまで疑いもしなかった歴史の出来事は真実じゃないかもしれない―中国ネット

Record China    2015年3月22日(日) 6時10分

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18日、旧正月の連休を利用して日本を旅行したという中国河北省在住の男性がインターネットで当時の様子を紹介した。奈良を訪れた時に困惑する出来事があったという。写真は奈良。

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2015年3月18日、春節(旧正月)の連休を利用して日本を旅行したという中国河北省在住の男性がインターネットで当時の様子を紹介した。奈良を訪れた時に「いままで真実だと信じてきた歴史上のエピソードは本当に真実なのだろうか」と考えさせられる出来事があったという。以下はその概要。

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春節の休みを利用して日本を旅行した私には、たくさんの忘れがたい思い出ができた。中でも奈良ではすっきりしない出来事にぶつかった。それは梁思成(リアン・スーチョン)の像のことだ。建築家の梁思成は戦時中、米国による日本本土の爆撃が始まると米空軍の司令官に手紙を書き、京都と奈良を爆撃対象から外すよう意見した。古い建築物を守るために取った行動で、これは中国で広く伝えられているエピソードだ。米軍は梁思成の意見を聞き入れ、京都と奈良に爆弾を落とさなかったと聞いている。

日本を訪れるまで、私はこの話が真実だと疑わなかった。そして奈良に着いたら最初に奈良県文化会館の広場にあると聞いていた梁思成の像を見に行こうと考えていた。しかし、実際は像などなく、「2010年の報道で像ができると聞いていたのに。どうしてないのだろう」と困惑してしまった。場所を間違えたかと思い、ネットで調べて初めて、「梁思成が奈良の建築物を守ったということを証明できるものがない」という理由で像の設置計画が中断していることを知ったのだ。

私は憤りと失望に襲われた。日本の反中派が阻止したに違いないと考えたのだ。しかし、私は自分に冷静になるよう言い聞かせた。帰国後、梁思成に関する情報をもう1度調べてみてようやく、梁思成のこのエピソードは今も意見が分かれるところであるということを受け入れることができた。残念だと思う反面、実際の状況を知ることができてほっとした気分だった。ここから思うに、私がこれまで「真実だ」と固く信じてきた歴史上のエピソードのうち、「絶対に本当だ」と言えるものはどのくらいあるのだろうか。もちろん、梁思成が中国の古代建築の保護に力を尽くしたということは紛れもない事実だ。奈良での出来事で、私の梁思成に対する印象が変わるわけでは決してない。(翻訳・編集/野谷

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