最も中国を理解した日本人、逝く―中国紙

Record China    2015年1月22日(木) 16時39分

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22日、北京青年報は「最も中国を理解した日本人が逝く」と題する記事で、陳舜臣さんの訃報を伝えた。写真は陳さんが作家協会に宛てて書いた手紙。

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2015年1月22日、北京青年報は「最も中国を理解した日本人が逝く」と題する記事で、陳舜臣さんの訃報を伝えた。

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陳さんは21日午後5時46分、神戸市の病院で息を引き取った。90歳だった。陳さんの祖先は中国河南省から福建省に移り、後に台湾へ移住。祖父の代で日本の兵庫県神戸市に移り住んだ。1924年に神戸で生まれた陳さんは、終戦後に国籍を中国に改めた。35歳のときに読んだ推理小説をきっかけに、小説を書き始める。1961年の「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞し、1969年の「青玉獅子香炉」で直木賞を受賞した。1990年には再び日本国籍を取得し、その後に直木賞の選考委員にもなった。

陳さんは日本の中国歴史小説の第一人者で、1967年の「阿片戦争」をはじめ、「諸葛孔明」や映画化された「琉球の風」など、数多くの歴史小説を著した。陳さんの作品は日中両国で大きな影響を与えた。日本の作家で歴史学者だった司馬遼太郎さんは「日本人に本当の中国の歴史を理解させることができるのは陳舜臣だけ。その存在が奇跡だ。日本をよく理解し、深く愛し、その欠点には慈しみのまなざしで向き合った。中国に対する愛は草木に降り注ぐ日光のように温かだった。中国への愛と神戸への愛はまったく同じだった」と語った。

中国の作家・柏楊(バイ・ヤン)さんは「中国は最も歴史ある国だが、中国人は歴史について理解していない。それは史学家や文学家が難解な古文を現代語に、単調な記述を興味あふれる大衆の言語にしてこなかったからであり、陳舜臣という文化界の重鎮はその重い任を負っている」と評している。

陳さんの作品は日本の読者に広く親しまれ、海外華人文学のシンボル的な存在だった。彼の訃報は海外華人文学界における巨大な損失である。さらに多くの陳さんの歴史小説が、国内で翻訳出版されることを祈る。(翻訳・編集/北田

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