喫茶店は日本人のこころの聖地―華字紙

配信日時:2015年3月21日(土) 19時8分
喫茶店は日本人のこころの聖地―華字紙
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19日、日本の駅周辺で、喫茶店を見かけないことはまずない。日本人に言わせると、喫茶店は自分の家の延長のようなもので、家に似て非なるものであるらしい。
2015年3月19日、日本の駅周辺で、喫茶店を見かけないことはまずない。日本人に言わせると、喫茶店は自分の家の延長のようなもので、家に似て非なるものであるらしい。日本人には他人の家へ出掛けて世間話をするような習慣は殆ど無く、何か話があるときには、「喫茶店に出かけて話しましょう」と伝える。また、これはとても普通のことである。日本では、個人の空間は秘密の場所であり、人と人が接するときは公共の場所に限られるのだ。日本の華字紙・中文導報が伝えた。

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喫茶店は本来コーヒーを楽しむ場所であるが、多くの付加価値も存在する。1つ目に、喫茶店は友達と集まる場所になっている。2つ目に、喫茶店はビジネスの話をする場所になっている。保険会社や不動産会社の営業員が顧客を喫茶店に誘って話をすることもあるし、会社の雰囲気を一新するために喫茶店で会議をする企業もあるぐらいだ。3つ目は、喫茶店は個人が安らぐ場所にもなっている。一人で気ままに新聞や本を読んだりすることも出来るし、パソコンを持ち込んで仕事まで出来る。そして、主婦達がデパート巡りで疲れたら、喫茶店で一服して休憩することもできるのだ。喫茶店にいると、ただじっと互いに見つめ合っているだけの恋人をよく見かけるが、これこそが喫茶店の一番のロマンである。そして、喫茶店はとても大らかな場所である。店によっては少し値段が高すぎるところもあるが、一杯のコーヒーで何時間もくつろげるのだ。

かくいう筆者も休日に喫茶店に出かけて読書をしたり、文章を書いたりすることが好きである。確かに家に居てもこれらは問題なく出来るが、なぜ喫茶店にわざわざ行く必要があるのか謎に思うだろう。とにかくある種の不思議な感覚なのだ。つまり、少し賑やかな場所に居て自分のことにうちこむと、自分の孤独を保てるだけでなく、ある種の安心感にも包まれている気分になるのだ。人は集団に居ながらその中で独立している動物である。もし、一人の時間がほしいのであれば、喫茶店に行くのが良いと思う。

書店が連なる東京の神保町には、昔ながらの雰囲気を持つ喫茶店が多く存在する。そこの本棚には自由に閲覧できる本と雑誌がおいてある。多くの人は書店を巡り、少なからずの気に入る本を持って、喫茶店を探して入り、我先にと本に目を通す。片手にコーヒーを、もう片手に本を持って眺めているときはまさに至福であるといえるだろう。

また、神保町の喫茶店では、よく作家、編集者や文人墨客がタバコを片手に、活発に議論しあっている姿をみかけることができる。喫茶店を日本人のこころの聖地だと呼称するのは決して過言ではないだろう。

2011年3月11日に起きた東日本大震災は数多くの被災地の喫茶店を一時休業に追い込んだ。その中で、仙台市のある喫茶店は率先して震災後3週間で店を再開した。店主は「このような時期にお客さんは来ないかもしれない」ともともと思っていたが、思いがけないことに客が途切れることはなかった。困難なときだからこそ、人々は心の支えがより必要になり、喫茶店で熱いコーヒーを飲みながら、お互いに励ましあったのだ。当時、食品の流通網が滞っており、人々は満足に供給を受けられなかった。しかし、そんな時でも、コーヒーは無くてはならないものだった。この喫茶店は4月10日から11日の2日間だけで、避難民に対して1700杯のコーヒーを提供し、人々に避難所にいながらして喫茶店の中にいるような幸福な気持ちを味あわせた。そして、被災した人の「ついにコーヒーが飲めた」という一言を聞くと、コーヒーが精神安定剤になっていると感じる。

調査によると、日本では名古屋市民が最も喫茶店を好むという。2010年から2012年の総務省統計局の「家計調査」の数字に基づくと、名古屋市民の一家庭が1年に喫茶店にかける費用は1万2367円である。聞くところによると、名古屋市民はよく家族皆で、喫茶店で朝食をとるそうだ。喫茶店の朝食は比較的手ごろで、朝時間が無いサラリーマンにとっては悪くない選択である。また、パンやサンドイッチに飲み物のセットメニューは午前中に必要なエネルギーを補うに十分である。(提供/人民網日本語版・翻訳/TM・編集/武藤)
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