猗窩座は負けていない?「鬼滅の刃」無限城編の考察まとめ―台湾メディア

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11日、台湾の女性ファッション誌・Bella儂儂は、劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来を考察した記事を掲載した。写真は鬼滅の刃。

2025年8月11日、台湾の女性ファッション誌・Bella儂儂は、劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来を考察した記事を掲載した。

記事はまず、「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来がついに台湾で公開された。世界中のファンが待ち望んだこの大作は、無限城編の幕開けであると同時に、人気の敵役である上弦の参・猗窩座(あかざ)の強烈な再登場と戦闘に焦点を当てている。多くの観客がすでに原作漫画で展開を知っているにもかかわらず、映画館に足を運ばずにはいられない。本記事では、同作の要点とキャラクター心理を掘り下げ、原作と映画に対する理解を深める」とした。

そして、「物語の冒頭では、鬼殺隊の当主・産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)が登場し、この決戦が彼と岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)による入念な布石であったことを示す。彼は己の命を餌とし、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)を屋敷に誘き寄せることで最終決戦の幕を開いた。その後、場面は歴代の鬼殺隊剣士の墓地に移り、並び立つ無言の墓石の数々が多くの犠牲と遺志を物語ると同時に、この戦いが長い年月を経て準備された必死の戦であることを強調する。これらの演出により、最終決戦に重厚な歴史の重みと宿命的な悲壮感を与えられ、戦闘シーンに入る前に、後戻りできない悲壮な空気に包まれる」と述べた。

続けて、「柱稽古編の終盤に続き、鬼殺隊の剣士たちは無惨の支配する無限城へと引きずり込まれる。剣士たちは散り散りとなり、それぞれの宿命の戦場に立たされる。各キャラクターは見せ場を与えられ、脇役の村田でさえ存在感を放つ。また、この混戦の中では多彩なコンビが描かれる。最年長の岩柱・悲鳴嶼と最年少の霞柱・時透無一郎(ときとうむいちろう)の組み合わせは、重厚さと儚さの対比が絶妙だ。恋柱・甘露寺蜜璃(かんろじみつり)と蛇柱・伊黒小芭内(いぐろおばない)は待望の共闘を果たし、主人公・竈門尾炭治郎(かまどたんじろう)は兄弟子の水柱・富岡義勇(とみおかぎゆう)と肩を並べ、これまでの2人の積み重ねが、この生死をかけた局面でさらに激しく噴き出す」と言及した。

次に、「長らく後方支援に回っていた蟲柱・胡蝶(こちょう)しのぶは、ついに無限城編で決戦の主役となり、単独で上弦の鬼に挑む最初の柱となる。姉・胡蝶カナエの敵を討つため、無限城に落ちた直後に上弦の弐・童磨(どうま)を発見し、命を懸けた戦いを仕掛ける。体格や力で不利な彼女が選んだのは、全身を毒の刃と化す死闘であった。また、この戦いは技と毒の対決であるだけでなく、信念の激しい衝突でもある。普段は優しい笑みを浮かべ、声も風のように柔らかな胡蝶は、実際には癒えることのない傷と底知れぬ怒りを抱えている。それと強烈な対比を成すのは童磨の身の毛もよだつ『慈悲』である。殺戮を『救済』と美化す歪んだ価値観が、彼の空虚な魂を示しており、観客は胡蝶が呑み込まれる瞬間に、比類なき悲壮感を覚えるのだ」と論じた。

また、「我妻善逸(あがつまぜんいつ)の覚醒は無限城編の中でも屈指の見どころである。常に眠りによって力を発揮してきた臆病者は、師の死と兄弟子・獪岳(かいがく)の堕落を経て、ついに覚醒したまま戦場に立つ。彼は『雷の呼吸』壱ノ型を極め、自ら『火雷神』という新たな型を創り出した。本来は獪岳と肩を並べるために生み出された技が、今や正義のために過去を断ち切る必殺の一撃となる。彼らの戦いは原作ではわずか一話分の短い描写にすぎないが、同作では大幅に拡張され、獪岳は単なる技の見せ場にとどまらず、感情と信念を持つ敵として描かれる。最後に師の幻影から『お前はわしの誇りじゃ』と告げられる場面は、善逸の過去を解き放ち、観客を涙させる大きな山場である」とした。

それから、「善逸の戦いが終わると、いよいよどう同作の最大の見せ場である『猗窩座再来』が始まる。炭治郎は祖先の舞から『ヒノカミ神楽』を会得し、日の呼吸に通じる力を発揮する。一方、富岡は水の呼吸を研ぎ澄まし、冷静沈着に戦う。この対決は、師に学び継承してきた技と、その伝承の交錯である。炭治郎は富岡の冷静さと実力に心からの敬意を抱き、富岡もまた幾度となく身を投じる炭治郎の姿に、かつて妹のために必死に哀願した少年が、今や共に戦える仲間へと成長したことを見出す。水と火がぶつかり合うこの戦いは、炎柱・煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)復讐の延長であり、炭治郎の成長を示す、同作で最も白熱する戦闘である」と紹介した。

その上で、「炭治郎と富岡との対決で、猗窩座はついに運命の臨界点へと向かう。炭治郎の刀が首に迫った瞬間、彼は百年封印されていた記憶と直面せざるを得なくなる。『鬼滅の刃』が一貫して描くテーマの通り、すべての鬼はもともと困難を経験してきた生身の存在である。猗窩座も例外ではなく、病に苦しむ父を救うために窃盗を働いた少年であった。父を失った後、慈悲深い武術の師に拾われ、さらに自分を理解する恋雪(こゆき)と出会う。一度は運命が優しく応えてくれると思ったが、幸福が訪れる直前に再びすべてを失ったのである。絶望が彼を鬼へと落とし、彼の『強さ』への極端な執着は、幸福を守れなかった無力感と自責に起因するものである」と説明した。

しかし、「このすべての葛藤を解いたのは、わずか15歳で同じく親を失う悲しみを経験しながらも、別の道を選んだ炭治郎であった。その一太刀は、単なる武道の極限の挑戦ではなく、憤りを捨て、傷を直視した者だけが到達できる無我の境地である。猗窩座は再生を選ばず、逃げずに、静かに灰となる運命を受け入れる。炭治郎に首を斬られた瞬間、自分はすでに敗北していると理解していたからである。そしてこの自覚こそが、彼の敗北を恥ずべきものではなく、価値あるものにしている。炭治郎には勝てなかったが、ついに自分を許せない罪悪感に打ち勝ったからだ。もし猗窩座が再生を選んでいたなら、炭治郎と富岡に再び戦う余力はなかっただろう。しかし、それはもはや重要ではなく、無私に愛する者を守ろうとした『狛治(はくじ)』としての自分を取り戻せたかどうかである。したがって、猗窩座は負けていないと心からこう叫ぶことができる」と強調した。

さらに、「壮大な戦闘シーンに加えて、同作では要所要所にユーモラスな場面が差し込まれ、張り詰めた空気に一息つける余白を与えている。愈史郎が善逸を救出した後、鬼殺隊士の村田(むらた)と共に救助と小競り合いを同時に行う場面は、笑いと実用性を兼ね備え緊張を和らげる。また、甘露寺が伊黒の華麗な鬼斬りを目にした際、照れのあまり日輪刀の刃先がハート型になるという演出は、視覚的な工夫として観客の頬を緩ませる。特に印象的なのは、富岡が『透き通る世界』に到達した炭治郎に不意打ちを託そうとしたところ、炭治郎が正義感に満ちた顔で『猗窩座!!今からお前の首を斬る!』と叫ぶ瞬間である。こうしたユーモアは戦場の重さを損なわず、キャラクターの人間味を際立たせせ、『無限城編』を単なる熱血と悲壮の積み重ねに終わらせない要素となっている」と評した。

加えて、「注目すべきは、同作が『鬼滅の刃』シリーズにおける戦闘システムの大きなアップデートとも見なせる点である。これまでの章では、敵の隙を捉える『隙の糸』、刀身を赤く染め破壊力を強化する『赫刀』、発動すれば身体能力を飛躍的に向上する『あざ』などが描かれてきたが、今回新たに『透き通る世界』という設定が導入された。これは敵の筋肉、血流、呼吸までも見通し、あらゆる動きや弱点を感知できる究極の境地である。特に心を打つのは、炭治郎が『透き通る世界』を悟る契機が、幼少期に病弱な父が熊を斬り伏せる姿を目撃した記憶にあるという点である。この日常から得た静けさと落ち着きが、生死を分ける戦場における決定的な覚悟へと昇華させた」と述べた。

また、「『鬼滅の刃』は派手な戦闘や感情表現だけでなく、日本の歴史と文化を織り込むことで独自の厚みを持つ作品である。鬼殺隊の制服は洋装と和装を融合させ、明治維新後の文化的混交を象徴し、猗窩座の入れ墨は江戸期の墨刑を想起させ、罪人から鬼への変貌を強調する。同時に、彼の武技や恋雪との花火の約束には江戸の花火文化との結びつきがあり、技名にもその記憶が刻まれている。さらに戦いで用いる『羅針』は航海技術の象徴であり、方向を求め続ける彼の姿を示す。一方、童磨の『万世極楽教』は江戸末期の新興宗教を投影し、救済と破壊を同居させる。こうした文化的背景が、物語世界を単なる幻想ではなく歴史と時代感覚に根ざしたものへと高めている」と論じた。

そして、「最終章へ向けた壮大なスケールを示すため、『紅蓮華』や『炎』などでシリーズを代表する存在となった日本の歌手・LiSAと『残響散歌』と『朝が来る』で激闘を彩った日本の歌手・Aimerも再び参戦した。同作の冒頭はAimerの『太陽は昇らない世界』が重厚な混戦に魂を注ぎ、観客を絶望と決意へ誘う。終幕にはLiSAの『残酷な夜に輝け』終わらぬ戦いと残された希望の未来に光を灯す。2人の楽曲は戦闘と余韻にそれぞれ魂を与え、闇と光をまたぐ最終楽章の到来を予感させた」と言及した。

記事は、「アニメ『鬼滅の刃』を長年手がけてきた制作会社・Ufotableの実力はさすがである。同作の構成においても高い水準を示し、原作のリズムや細かい描写を忠実に再現しつつ、多くの視覚的強化と調整を加えることで、既知の物語をさらに昇華させることに成功した。内容は漫画139話から157話に相当し、鬼殺隊の無限城への墜落から猗窩座戦の決着までを扱う。わずか19話分の原作を155分の映画へと拡張しつつも、冗長さを感じさせず、体感時間はわずか30分ほどであった。これを踏まえると、残り48話の原作内容を2本の劇場版として展開するなら、後続の章の上映時間はさらに壮大なものとなる可能性が高く、無限城編の最終章がどのようにクライマックスを飾るのか、一層期待が高まる」とまとめた。(翻訳・編集/岩田)

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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