<日中国交正常化50周年>北京五輪会場「張家口」と聞いて想起した、大平正芳首相の「慙愧」

八牧浩行    2022年2月17日(木) 7時50分

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北京冬季五輪のスキー競技は北京北西部の「張家口」で開催された。この地名を聞いて、今は亡き大平正芳首相のことが思い出された。写真は張家口の五輪スキー会場。

北京冬季五輪たけなわである。スキー競技会場は北京北西部の「張家口」で開催された。この地名を聞いて、今は亡き大平正芳首相のことが思い出された。ほぼ半世紀近く前、大平氏の蔵相時代に、筆者が大蔵省記者クラブや私邸で取材した際に、「張家口」の地名が氏の重い口から出てきたからである。

1972年9月25日、北京で田中角栄首相と中国の周恩来首相が日中国交正常化交渉を経て共同声明に調印してから今年で50年になる。この時の日本国民のフィーバーぶりはすさまじかった。この取材に日本の新聞、通信社、放送会社は合わせて80人もの記者を派遣した。「日本の対中侵略への謝罪表現」をめぐり両首相の厳しい口論となった交渉がようやく決着した後、毛沢東主席が「もうケンカはすみましたか」と田中首相に尋ねた伝説的なセリフなど、四日間の北京での出来事を微に入り細に入り大々的に伝えたものだった。

◆日中国交正常化にかけた大平正芳氏の執念

ガラス細工のように崩れやすい日中間の諸懸案を一つひとつ丁寧に取り除き、日中国交正常化の実現にこぎつけたのは大平正芳外相の努力と堅い意志によるところが大きい。正常化交渉の席上、中国は日中戦争での賠償金請求を放棄した。周恩来は「日本人民も被害者」「賠償金は日本国民の税金で賄われる」と語り、強い反日感情が残る民衆を説得した。大平氏の粘り強い交渉が実った形である。

大平氏はその後大蔵大臣となった。筆者は1975年4月に大蔵省記者クラブに配属された際、大平蔵相を大臣室や瀬田の私邸などで取材。「アーウー節」と揶揄(やゆ)されたこともあったように、ゆっくりした口調で噛みしめるようにいろいろなことを話してくれた。

ある時、ウイスキーの薄い水割りを飲みながら「日本人は中国大陸に侵攻し、ずいぶん中国人をひどい目に遭わせた」と腹の底から絞り出すように語っていたことを思い出す。大平氏は大蔵省に1936年に入省。その直後の1939~1940年に北京北西部の張家口で勤務した際、「ギルティ・コンシャスネス(罪の意識)を持たざるを得なかったほど、日本人が中国人を虐げていたかを目の当たりにした」という。大平氏はそれ以来慙愧の念を持ち続けたようだ。

国交正常化以来、長い間ほとんど途絶えていた日中間の文化、経済交流が一気に花開き、様々な枠組みが出来上がった。

◆日中首脳会談、岸田首相も意欲

筆者は1987年9月、日中経済協会の中国訪問団(団長=斎藤英四郎経団連会長)の随行記者として中国入りし、中国産業界要人や中国人民銀行(中央銀行)首脳などを取材、知られざる中国経済の実態を記事にした。

人民大会堂の貴賓室で、2カ月後の首相就任が内定したばかりの李鵬氏に抱負と政策方針を取材した。同氏は「日本と中国の経済交流の必要性」を何度も強調。最後に固く握手した手は温かく、日本への期待の大きさがひしひしと伝わってきた。

その後も日中間は蜜月が続き、残留孤児を主人公に描いた小説「大地の子」(山崎豊子著)のNHKドラマが視聴者の感涙を誘ったのは記憶に新しい。日本と中国は、貿易が急拡大し、日本企業の工場進出ブームが到来するなど切っても切れない関係となった。

さまざまな日中交流組織ができた。経済専門家や政策担当者が経済運営、産業構造改革、日中経済協力などについて討議する日中経済知識交流会もその一つ。日中経済知識交流会の創立30周年記念誌「志」(2011年発刊)に温家宝・中国首相が「世界的にも重要な経済国として、お互い重要なパートナーである日中両国はチャンスを逃さず、協力しながら共に発展していくべきだ」とのメッセージを寄せている。

筆者も参加した前述の中国訪問団も含め多くの海外経済ミッションで同道した関澤秀哲・元新日本製鉄(現日本製鉄)副社長は、この記念誌の中で、日中国交回復前の1957年以来の同社と中国の関係について詳述している。稲山嘉寛氏(元新日鉄社長)はじめ新日鉄の経営幹部が1958年、周囲の反対を押し切って訪中し、周恩来首相と会談、その後の宝山製鉄所建設プロジェクトなど経済協力に繋げたという。同社をはじめとする多くの日本企業や団体は、その後も一貫して交流促進に尽力し、中国側との揺るぎない信頼関係を築いた。

その後、尖閣諸島の国有化を契機とした混乱などを経て日中関係は微妙な状況が続いているが、両国の貿易投資額は急拡大し、一衣帯水の「切っても切れない」隣国関係は揺らがない。国交正常化50周年の今年こそトップの交流が待望される。大平首相が創設した宏池会を率いる岸田首相も「首脳同士の対話はすべての基本になる」と首脳会談に意欲的だ。

80年以上前の遠い昔、大蔵省初赴任先の張家口での光景に心を痛めた若き日の大平氏。今同じ地で「平和の祭典」が開かれ世界中から集まった若者たちが仲良く「技」を競っている姿を見たら、何を思うだろうか。

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務めたほか、欧州、米国、アフリカ、中東、アジア諸国を取材。英国・サッチャー首相、中国・李鵬首相をはじめ多くの首脳と会見。東京都日中友好協会特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著・共著に「中国危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外国為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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