「慰安婦記録を世界記憶遺産に」韓国政府の計画、慰安婦被害者に格別の意義(上)―仏メディア

Record China    2014年1月18日(土) 17時27分

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16日、ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)中国語電子版は、記事「慰安婦―かつて蹂躙(じゅうりん)された女性の苦悩を歴史に残せ」を掲載した。写真は日本大使館前の慰安婦像。

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2014年1月16日、ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)中国語電子版は、記事「慰安婦―かつて蹂躙(じゅうりん)された女性の苦悩を歴史に残せ」を掲載した。

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韓国女性家族部は14日、旧日本軍の慰安婦関連資料をまとめ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録する計画を推進していると発表した。日韓関係に新たな緊張が高まるとともに、「遠い歴史」が再び人々の視線に入り込んできた。数十年が経過し、元慰安婦の生存者はもう多くない。彼女たちの名誉回復を願う努力が再び失敗に終わるとしたら、それは回復できない傷口となるだろう。

日本軍慰安婦とは、第二次世界大戦において日本軍により強制的に連行され、性の相手をさせられた女性を指す。こうした行為は、単独または少数の事件ではなく、大規模で組織的なものだったことが多くの歴史資料から明らかになっている。慰安婦の人数について、学者により見解は異なるが、20万人説が有力だ。出身地は、日本や中国、当時日本占領下にあった台湾や朝鮮、さらには東南アジアやオランダなどにわたっている。上海師範大学の蘇智良(スー・ジーリアン)教授は、中国出身者だけで20万人、台湾出身者も2000〜3000人が各地の慰安所に送り込まれたと推定している。

生存者の供述によると、単純な「性の相手」にとどまらず、蹂躙され、中には性関連病に感染したり、数回にわたる中絶を経て出産できなくなった女性も多かったという。戦争末期には、壊滅状態にあった日本軍に殺害された慰安婦もいて、苦難を乗り越えて故郷に帰ることができたのはごく少数だった。こうした女性たちの多くが、帰宅後も周囲から差別を受け、孤独の中で日々を過ごさざるを得なかったという。

慰安婦被害者の存在が国際的に広く知れ渡るようになったのは、91年に韓国出身の元慰安婦・金学順さんが補償と謝罪を求めて名乗りでたからだ。吉見義明中央大教授の研究成果が日本国内外の関心を集め、東アジア各国で多くの被害者が声を上げ、日本に補償を求める国際行動が形成された。(翻訳・編集/NY)

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